コンテンポラリーアート虎の巻

コンテンポラリーアート論

33目の問題。未来のアートワールドはどんな目が作り出すのか?

この20年、僕はずいぶんアワードに関わってきたな、と思う。かつてヤノベケンジ束芋名和晃平らを輩出したことで、今や伝説と言ってもいいぐらいの「キリンコンテンポラリーアワード」の審査員を務めたのが始まりだった。

その後も2007年に、全国の美術大学の卒展を可能な限り見て周り、優れた才能を発掘する「aatmアートアワードトーキョー丸ノ内」を立ち上げプロデュースと審査員をつとめ、また2011年からは、最もラディカルな現代写真のアワードであるTOKYO FRONTLINE PHOTO AWARDは、自ら主催し今に至っている。

他のアワードのゲスト審査にも、随分かかわってきた。

 

コンテンポラリーアートのアワードの審査。

それはとても重要な、「自分への問いの道場」、千本ノックだと思っている。

 

人間は前例や、成功事例に縛られやすい。

権威に騙されやすい。

褒められると、いい気になりやすい。

逆に、打たれ弱い

世の中は、審査員が偉くて、高みに立って、無名のアーティストを見つけてあげると考えるかもしれないが、そんなくだらない話はないと思う。

コンテンポラリーアートにおいては、つねに問われるのは、審査員の方である。

ヤキが回った審査員は、審査の資格なし。これ以上の害はない。

僕はそのことにずっと自覚的に審査に取り組んできた。ヤキがまわったら、自分などお払い箱だと思っている。

 自分の知覚を鍛え、知見と体験をふやし、なおかつ謙虚で自由たるべし。

 

素手で、裸眼で、世界に触れなくてはならない。

可能性を、常に見落とさないようにしなければならない。

素晴らしい才能や作品に出会ったら、カラダ全体から褒め、励まさなければならない。

 

下らない既成概念であしらおうとする審査員がいたら、 審査員同士でもケンカするぐらいじゃないとダメだと思う。自分の好き嫌いで判断する、直感で判断する、と言う審査員がいるが、僕は審査は好き嫌いや、自分を超えたものだと思うから、そう言う物言いを、当たり前な顔で言う審査員には、つい噛み付いてしまう。

 

あなたはどんな立場で、批評し、審査しているのですか?

アートワールドのルールに精通している人が資格があるの?

アート専門の批評家で、他のジャンルは全く門外漢ですって言う人がコンテンポラリーアートの査定ができるの?

 

オーバーかもしれないが、審査とは、自分のイノチガケの場だ。間違った判定をしたら、アーティストの未来や可能性の芽を摘むことになるだろう。

なめたら、終わるのは、審査員の方なのである。

 

批評とはなんだろうか。

審美眼とはなんだろうか。

 

素朴なな問いがある。

骨董を見る審美眼と、コンテンポラリーアートをみる「目」は、同じなのであろうか?

古美術は分かるが、コンテンポラリーアートは分からない。

その逆を言う人もいる。

それはおかしいのか、おかしくないのか。

そのことをいつも、ずっと考えている。

 

あなたなら、どう答えますか?

 

古美術には、「目利き」というコトバが生きている。仏像や陶器などは、我々よりもはるかに長い時間を経て、現在まで生き残ってきたものだ。

それに対する「目」は、どうすれば獲得できるのだろう?

数寄というコトバがあるが、これは「好き」でありつつ、ある特別な美意識の「偏り」「偏愛」を示している。

お茶の世界は、役に立つとか、体に良いとかという世界と、全く無縁だ。無用であるがゆえ、かえって美意識の、たぎった格闘の場であり、同時に平安の境地をえる「セレモニー」である。

それを戦国時代に千利休が、生成させた。

すごいシステムである。

亭主と客の間で交わされる趣好の交歓は、ある意味で、互いの「目」を鍛える場だ。数寄は、そのような場によって育まれる美意識のチカラなのである。

いかに趣好を誘発する「お道具」を集める(寄せる)ことができるのか。

数寄もまた、美的な編集術といってよい。

 

たとえば文芸評論家の「神さま」と呼ばれた小林秀雄は、古美術蒐集家であった。彼は作家に質問し続け、作家が「もう勘弁してくれ」と泣き出すまでつづけたというエピソードがあるが、それはまるで批評の鬼を示すものだろう。

しかし、それが彼の「批評家としてのモラル」のありようであった。その他にも彼ののモラルはある。エッセイ「栗の木」にでてくる「木」は本当は「なかった」ようであるし、彼が未完成で終わったアンリ・ベルグソン論には路上で体験した謎の声との出会いが語られる(小林秀雄は生前、この未完の連載の単行本化を禁じていた)。それも、おそらくは「作り話」であったろう。『本居宣長』も、「宣長さんのことを考えていて、気がついたら東海道線に乗っていた」と彼は堂々と書くことができた。

小林秀雄は、批評の「自立」のためには、批評にフィクショナルなものをもちこむという「禁じ手」を使うことを犯しても、リアルを撃ちたいというモラルがあった。

これはつねに傍観者としてものを言いがちな批評家において、異様な選択であり、そのリスクゆえに、小林秀雄の批評は、いまも賞味期限切れにならないという魔術をうみだした。

小林秀雄の批評は、矛盾、分裂生成、パラドクスなのである。

僕は小林秀雄が生きている間は、「神様」だったのであまり興味がなかったが、死んでから、愛読するようになった。

無い物ねだりだが、生きている時にインタビューしたらどんなだったろうかと、よく想像してみている。

 

「真贋」と題されたエッセイや「様々な意匠」というエッセイ(一種の批評文)を、コンテンポラリーアートにかかわる者だれもが、必読だと僕は思う。また、小林秀雄に古美術を教えた青山二郎との対談も必読である。

批評の神様に切り込むことができたのは青山二郎だけであり、それは青山が恐るべき「目」の人であったからに他ならない(青山二郎のエッセイを集めたアンソロジー『目のひっこし』は実に面白い)。

 

コレクションとは、古美術であれコンテンポラリーアートであれ、その人の「数寄」の精華である。

コレクションを見れば、その人が「どれくらいの人」ががわかる、厄介なものだ。

財力とか、資産、肩書きとかさえ、裸にされてしまう。

ニセモノをつかまされたり、趣味の悪いモノを買ったり、カネに騙されたり。それはとりわけ、小林秀雄のような神様には怖いことであり、彼の一生は、その格闘の歴史であったと言ってもよい。

 

もう少しだけ小林秀雄の「目」と「批評」について書いておきたい。

小林秀雄は「目利き」であったが、彼はファン・ゴッホについて書き、レコードを通してモーツァルト論を書いた。彼の時代にウォークマンが普及していたら、彼はそれを使ったろう。小林は決して、古臭い伝統崇拝者ではなかったところが重要だ。

小林秀雄は、骨董で日常的に牛乳を飲んで過ごしたが(同じく、骨董を偏愛した俳句作家・永田耕衣も日常的に骨董の食器を使った。以前、拙著『独特老人』でインタビューで家を、訪れたおり数々の金継ぎされた骨董が並んでいたのは、凄みがあった)、彼にとって美術品は鑑賞するものではなく、「偏愛」「過剰な愛」の対象であったのだろう。

小林秀雄が死に、そのコレクションが美術館で展示されたことがあった。

奇遇なことに、同時期に作家・川端康成がコレクションしていた美術品もまた別の美術館で展覧会があり、この2つを見比べる機会があったのだ。

共通する美意識もあったが、圧巻は川端がコレクションしていたロダンが作った「女の手」だった。

川端は毎日それを机の上で玩弄しながら、小説を書いたに違いなかった。

ここには、批評家を超えたアーティストの持つ、狂気に近い、ロジックを超えた「過剰な愛」があった。川端康成、おそるべし。

 

コレクションとはこのように、人を裸に暴露する。

アートとは、いじらしいまでの愚かにして崇高な、アーティストの所業なのである。

 

しかし、今までの章で述べてきたように、コンセプチュアルアート以降のアートワールドは、「真・善・美」などという美学とは、全く異なったポストモダンな、頭脳プレイにシフトした。

その意味では、小林秀雄的な「目」が、今も有効かは、即断しがたい。

「目利き」の意味も、随分シフトしているのだ。

 

以前、青山二郎小林秀雄の薫陶をうけた白洲正子さんにインタビューしたいと思い、長い依頼のお手紙を差し上げ、お電話したことがあった。

お話の要点は、赤瀬川原平の著作『千利休』を下敷きにして、古美術と現代美術の「目」が、どのように同じで、異なるのかということであった。

伏線としては、青山二郎は無類の写真マニアでもあり、写真の「目」と、古美術の「目」についてもお話願いたいと思った。

お電話したところ、病気のあとのご様子で、ちょっとインタビューはお断りするということであったが、意外な長電話となった。「あなたが、お手紙でおっしゃっている目のことは、とても面白い視点です。大切なことね」

そうおっしゃっていただけただけでも、光栄であった。

 

ハイレッドセンター赤瀬川原平は後年、「トマソン」や「老人力」で大衆的に知られるようになったが、れっきとした「前衛アーティスト」である。同じく前衛アーティストで華道家勅使河原宏の映画『千利休』のタイミングで赤瀬川が書き下ろした著作であった。白洲正子は、この赤瀬川の本を大変高く評価していたのだ。

 

長々と「アワード」の話から逸脱、脱線してきたが、お許し願いたい。

 

確かに青山二郎小林秀雄白洲正子の「目」は、古美術の「目」であり、コンテンポラリーアートの批評眼とは無縁なものだ、と言うのは、あまりにも容易い。

 

リヒターやデュマスや、オラファーの作品は別の「目」で見なくてはならないのか。いや、進化した新しい「目」をどのように手に入れるのか。

それは、単に安全な「鑑賞教育」で手に入るはずもない。

アートワールドのルールは、どんどん書き換えられ、再編集されているのだから。

 

美術大学で教鞭をを取るものの中で、学生の作品を見て、何年でその人がアーティストとして大成できるかを、言える人はあまりいないだろう。

それを言うことは、教育としては、あまりに不安定要素が多く、リスキーだからだ。

そして、もしその学生が、教員より優れた才能があったとして、それを素直に認めることのできるアーティストあがりの教員の、なんと少ないことであろうか。

 

僕は、アーティストとして成功するには、美大を出て7年から10年というのが目安だと考えている。つまり、30歳から35歳ぐらいまでに、3つぐらいの初期の作品の山(シリーズといってもよいが)が出来上がり、自分のクリエイションの動機(モチーフ/モチベイション)、原理、ヴィジョンなど、始点が明確になる。初期衝動だ。

何にせよ結局は、初期衝動がその人を規定する。

 

アーティストの人生は、努力すれば報われるわけでもなく、たくさん作ったからといって成功が保証されるわけではない。

生活環境、ネットワーク、経済状態、コレクターや支援者や友人、運など全てがアーティストとしての成功を左右する。

アワードはその中の、一つのファクターであり、生死をわける決定的なものではない。

芥川賞木村伊兵衛賞ターナープライズを取らなくとも大作家になったものは数多くいる。

 

だからこそ、才能を発掘し、有効なフィルター、トリガーとなるアワードはますます重要を増していく。

 

再度言うが、問われるべきは審査員の批評眼、審美眼の進化である。

 

アートワールドの未来は、アーティストだけでなく、コンテンポラリーアートを見抜く、クリティカルな目の責任にかかっているのである。