コンテンポラリーアート虎の巻

コンテンポラリーアート論

32カタストロフからアートは始まる

コンテンポラリー・アートのパラダイムは、確実にシフトしている。

その変化は、もはや内在的な要因でおこるというより、外部との衝突、摩擦、亀裂、交換、反映などによって引きおこる。

何がきっかけで、作品が生まれてくるのか?

もちろんそれは千差万別。

しかし、アーティスト自身が、意識していなくても、アーティスト自身が時代の変換装置になって作品が出現してくるようになってしまっているのだと、考えるべきだろう。

時代をストーリーテリングするのか、時代の切断や穴、ゼロ点としてアートをやろうとするのか。

 

時代の中に内にいる?

時代の外にいる?

時代の中にいながら、しかし同時に外にもいる?

あなたは、どこにいる?

 

僕は、いま、ここにいて、コンテンポラリーアートの一つの大きな動因は、カタストロフだと思っている。自然災害や放射能事故や、不条理な事件や、戦争である。

 

僕は2014年にアムステルダムのunseenで、港千尋との共同キュレーションにより、特別展「anima on photo」をプロデュースした。

これは、「物語」「モノノ怪」など、日本の身体性の中にあるアニミスティックな感覚を軸にして、現代写真を再編する、読み直すと言う野心的な試みだった。総勢16名の写真家は、荒木経惟森山大道を始めとして、東日本大震災を撮影した篠山紀信の「ATOKATA」や上田義彦の「鎮まる」。そして、横田大輔の「matter」や滝沢広の作品など、実に壮観だった。この時始めて横田大輔の巨大なモノとしての写真を前にして、tateの写真キュレーターであるサイモン・ベイカーとウィンターツール写真美術館のトマス・シーリグの両氏が、感嘆の声を上げていたのは、わすれられない出来事だ。

 

写真展「anima on photo」は、東日本大震災が動機となったものだった。

その時僕は2つのこだわりがあった。1つは荒木経惟の、廃墟化してしまった「愛のバルコニー」をメインビジュアルとして使うことであり、もう1つは、テキストにおいて、これらの写真の現像として、広島に原爆が投下された時に、あまりの強い光と熱線で、壁に焼き付けられた「影」のことを書くことだった。

荒木経惟の廃墟の写真には、怪獣ゴジラのオモチャが、散乱している。東日本大震災にインスパイアされ、ハリウッドは新作のゴジラ映画をつくったし(福島の原発事故も取り上げられている)、極めて象徴的な存在だ。

ゴジラは原爆実験によってミューテーションを引き起こした古代の恐竜であり、生物であるにもかかわらず放射能を吐く。

映画ゴジラは1954年に、作られたがこれは偶然にも、僕が生まれた年であり、はっきりと僕の個人史は、この「ミューテーションしたモンスター」によって刻印されていると思っている。ある意味で、存在のモデルなのだ。

 

この東アジアの群島は、宿命としてカタストロフに取り憑かれている。

その終末は、「西洋の最後の審判」ではなく、なんども繰り返される終末という、モデルなのである。

 

3.11東日本大震災が勃発した時、僕は台湾にいた。

国立台北芸術大学ドゥルーズ研究家・でキュレーターの黄建宏と僕が企画した、日本と台湾の若手アーティスト合同展「TRANS-PLEX」展のために、訪台していたのだ(メンバーは、後藤繁雄椿昇、千葉雅也、後藤桜子など)。

僕らは単純な「交流」などではなく、もっと複層的な関係生成をイメージしていたので、超えるを意味するtransと、ラテン語であるplex(conplexなど)を合体した造語を作り、展覧会のコンセプト、タイトルにしていた。plexには、たたんだり、曲げたり、編んだりする語源の意味合いがあり、千葉雅也は、襞が盛りズレる様をイメージし、黄との協議の上、タイトルを決めた。

 

「その襲来」は、僕が「ヒトデナシの自然がもたらす倫理性」についてレクチャーをしている最中だった。会場には現代哲学者の千葉雅也君がいて、彼が手をあげて「ゴトーさん、日本で今大地震が起こったそうですよ」とツイッターを見ながら言った。

今もありありと思い出す。

津波が発生したことがあまりに話の内容とあまりにジャストで、「ああ、これで決定的に事態が変わるなあ」と強く実感した。

その前日の朝、千葉雅也は、東洋のオーガニズムに回収されない生命哲学について喋り、また椿昇はヴァイタル・フォースについてレクチャーしていたので、3人ともあまりのショックに呆然自失だった。


宿舎のテレビで、繰り返される津波を見続けた。そして、福島第1原発が水素爆発をおこし、放射能は世界にまきちらかされ、日本は被曝の孤島と化した。地震津波放射能。三重のカタストロフの中で、何ができるのだろう。

その時に考えつづけたのは、最悪を最善に変成すること。

政治もコトバも無力で、全く機能不全だからこそ、アートでなければ出来ないことは何か。

新たな自然観・生命思想・倫理観・表現をもって生きていく世になったと、腹をくくらなければならないだろう。

危険のどまん中で、あえて生きるもよし、海外逃亡もよし、都市を捨てるもよし。

 

3.11直後は、いろんなクリエイターに逢って、ウォームアップすることにしていた。

以前から3月末に、日本で初めての写真と写真集の新しいフェア THE PHOTO / BOOKS HUBの実施を計画していた(表参道ヒルズのスペースオー)。幸いにも実施することができ、多くの人の来場によって、塩竈のフォトフェス復興に、義援金が出すことができた。しかし、世の中は右も左も既存作品を使ったチャリティばかり、同じパターンしかできないことが、想像力の限界に思えて、もどかしかった。

 

また、地震津波原発事故の三重の「悲劇」写真は、さまざまな形で氾濫していた。それらの写真は、「事実とヒューマニズム」の枠をはみ出すものはなかった。自然観や倫理、生命思想、表現のシフトをせまる表現、つまり、「アートにできること」が浮かび上がってくるのは、「事件」からもう少し日が経ってからになる。

 

カタストロフと写真は、親和性が高い。

評論家スーザン・ソンタグが『写真論』、『この時代に想う テロへの眼差し』、『他者の苦痛へのまなざし』などの著作で警告したように、写真は人の災いを吸う。写真にモラルはない。

写真という表現自体がスキャンダラスで、いかがわしく、曖昧なものだ。

いや、かえってそのトリッキーな性格を使って、写真はコンテンポラリーアートの分野にも侵入しているのだ。

例えば、イラク戦争を撮ったリステルフーバーの「事後写真」や、9.11を撮ったマイヤーウィッツの「アフターマス」。ミッチ・エプスタインのハリケーンカトリーナの「美しい廃墟」も、「事件」から日を追うごとに「アート作品」として成長している。「悲劇を食いものにしている」と批判する人もいる。
しかし、実は写真というメディア自体が「いかがわしく」、つまり極論すれば「ヒトデナシ」であり、しかしそれ故に、「ヒトデナシ」な戦争や災害に立ちむかい、それまでの倫理を超える新しい価値を提起できるのだと思う。

 

僕がまず取り組んだのは、花人・川瀬敏郎と写真家・上田義彦とのコラボレーションだった。

 

鎮魂。

 

「鎮まる…」というテーマで花をいけていただき、それを写真家・上田義彦に撮ってもらうというプロジェクトを行うこと。

花は、人間のもくろみでは生きてはいない。花という絶対他者が、自ら「鎮まる」ことで、逆に人間が鎮魂される。東北はもちろん、すべての人間の心を鎮めるために、花が自ら鎮まるのだ…。

川瀬敏郎の花は、白洲正子が生前、絶賛し続けていたものだが、それは華麗だからではなく、逆に「存在」の根源に迫るものだからだ。

流派をつくらず、比叡山などの山にわけ入り、野の草を採り、いける。そこは、もはや花とよべるものもなく、切りとられるが故にきわだつ古代の緑、いのちの循環がそこに出現する。

 

9枚の写真は、もはや通常の意味でのいけばなではなかった。

 

これがまず、個人的な東日本大震災カタストロフ以降の始点である。

この写真の展覧会を企画し、そして同時に、全国のさまざまな場所に、写真を「立て」、鎮魂したいと思った。

 

被災地には、アーティストたちと誘いあって、何度か通った。

しかし、行ってみないと何も分からない。そう思った人は多かったし、実際それが正しい判断だったと思う。

喪失した記憶。

コミュニティの復興。

自然と生命。

ガレキそのものをマテリアルとして撮影したもの。ポエティックな表現…。

さまざまな「表現」がカタストロフ以降、生まれた。生まれ続けている。

それのどれが素晴らしい表現で、だめな表現と言えるのか、その美学倫理は何なのだろう。

 

篠山紀信の写真力展を東北に巡回するときに、被災地を撮った「ATOKATA」を展示しては、と僕がある学芸員に問うたとき、「いやもう地元の人は、被災地の風景を思い出したくないんですよ」と返され、驚かされた経験がある。

そんなことでよいのだろうか?

なんと早く記憶喪失になろうとしているのだろうか!

新しいモラルへ向かえるかという「問い」を、アーティストたちは、何度でも、いつまでも繰り返したっていいはずだ。

 

あの日から6年がたとうとしているが、福島第1原発は、全く解決のめどはたっていないままだ。

 

しかし、あの不条理な「出来事」の前と後では、何かが決定的に、変わってしまっている。

 ビフォア&アフター。

目ざめることを選んだ人、目ざめない人。

なんらかの形で、あのカタストロフを経由することなしに、2020年を東京オリンピックのお祭り騒ぎにうつつをぬかすアーティストがいるなら、それは、どんなに無神経なのか。

 

その後僕は、三越伊勢丹東日本大震災への義援プロジェクトとして、KISS THE HEARTを3年間にわたり150人近いアーティストととともに考え、作業する時間をすごした。

これは、カタストロフがもたらす「最悪」を、アートの想像力で「最善」に変成させる貴重な、アルケミーの体験だった。

それは、単に高い価格で売れる作品を作ったり、有名になるためのアルケミーやアート戦略とは、全く異なっているけれど、既存の価値を破る、最も重要な価値生成のプロセスであった。

 

東日本大震災の後、熊本で大震災があった。

阿蘇をおとづれた時、道路は寸断されていたが、人は例え火山が近くても、自分の故郷からは、簡単には逃げ出さないものだと痛感させられた。

 

またカタストロフは来る。

今は、事後なのではない。

いつも事前なのだ。

この国のアーティストたちは、それをキモに銘じて生きなくてはならないだろう。

 

やり続けよう。