コンテンポラリーアート虎の巻

コンテンポラリーアート論

30アートフュージョンの戦略と、フューチャーキュレーションについて

キュレーションは、ますます進化する。しかし、前章までで取り上げてきたキュレーションの本において、全く取り上げられていないことがある。それは、昨今の、ファッションブランドや企業がコンテンポラリーアートを、様々な形で取り込むキュレーションの事例である。

 

ルイ・ヴィトン、シャネル、ブルガリ、ディオール、ボッテガ、エルメス、フェンディ、フェラガモ、グッチ、プラダバレンシアガ、、、。これらのハイブランドほど現在、コンテンポラリーアートを必要とし、積極的なプレイヤーはいない。

 

コンテンポラリーアートと、コマーシャルな分野との融合。この融合の戦略を僕は、アートフュージョンと呼んでいる。

昨今のメインは、上記のファッションブランドにおける戦略的ブランディングのためのアートフュージョンだが、もはや、コラボ商品を作ったり、ブランドのイメージアップや付加価値をあげるためだけでなく、企業価値そのものを上げるアートコレクション形成や、美術館運営まで含めて、アートフュージョンの戦略と考えるべきだと思われる。

 

この戦略的なキュレーションは、今のところ、美術館のキュレーターたちにはあまり評判はよくないかもしれない。公然とは批判はしないにしても、明らかにまだ距離をおいている。

アーティストたちも、はじめは距離を置いていたが、今ではかなり態度が積極的に変わってきたように思う。

したたかになったのだ。

 

加速的に変容する資本主義の中で、とりわけ活性化した領域として動いているアートワールドを考えた時、あきらかにアートフュージョンは、今や無視できないところまで来ている。

かえって、どのような未来的なフュージョンが可能か、その新たなキュレーションを積極的に考えるべき時ではないのだろうか。

 

ここでは、価値接続のためのディスコースの形成力、価値生成のための、選択と開発の力が問題となるだろう。

 

しかし、美術館的なキュレーションのスキルや、充分なコンテンポラリーアートの知見を持っていて、なおかつアーティストの内在的なことを理解するだけでは、アートフュージョンを果すには、まだとても足りない。

アーティストと信頼の絆を作ることができ、かつ有効な助言やディレクションできるだけでなく、商品開発、ブランディングデザイン、ディスプレーやデモンストレーション、プロモーション、マネージメントなど、新たな「現実生成」のためのダイナミックなプロデュース力を取得することが、同時に問われることになるからである。

しかも、この必要とすべきスキルを、トータルで学習できる学校は、今までの美術大学には未だない。

 

このようなアートとブランドの接近の背景には、アートヒストリーを作ってきた表現スタイルの「変遷」や、アートムーブメントの「潮流」が失効し、コンテンポラリーアートが、「トレンド」として語られるようになったということが大きい。

 

またアートワールドにおける価値生成の定式が、プレイヤーたちの連携によって、確信犯的に生まれるようになったことも大きい。

 

特定のアカデミックな批評家や、アートヒストリアンの権威が、絶対的な力を持つことは無くなってしまったのである。

 

アーティス、キュレーター、クリティック、コレクター、ギャラリストたちが連携しあい「新しい価値」の「トレンド」が形成(捏造)されるようになっているのである(さらに今は、FacebookInstagramなど、オンラインにおける「人気」が価値を左右するようになった)。

 

たしかに、アートは太陽と同じで、離れていると美しくて暖かいが、近くと目が潰れ、焼け死んでしまうもの。

簡単にコマーシャルが飼い慣らせるものでは、到底ない。

 

とわいえ、従来のようなヤバイ「実験エクスペリメント」や「前衛アヴァンギャルド」も、実質的に失効してしまった今、価値生成のアルケミーは、ブランドとのフュージョンの機会にもちこまれていくだろう。

年々、新たな価値生成の仕組みが、発明されていくのである。

 

アートとファッションのフュージョンの事例を振り返ってみよう。

ベルナール・アルノー率いるLV MHグループ傘下の、ルイ・ヴィトン(当時のクリエイティブ・ディレクターは、マーク・ジェイコブス)と村上隆が手を組んだのは、2003年のことだから、はや15年前の話。LVのマークをモチーフとしたモノグラム作品は、今や数千万円となっている。

 

またシャネルが、2008年に建築家ザハ・ハディッドに依頼して移動式の美術館「モバイル・アート」のプロジェクトを開始していたことも忘れてはならない。

ザハによる「美術館」は、720平米もある宇宙船型のもので、いくつものパーツに分かれていて、香港をスタートに、東京、ニューヨークなど世界主要都市を2年かけて、巡回できるよう設計されていた。

 

僕は東京の、代々木体育館駐車場に巡回した時に行ったのだが、荒木経惟やオノヨーコ、束芋のアニメーションなどもセレクトされ、キュレーションされていて、それらは、明確に「ブランド」と融合するものもあれば、まったく独立したりと、ある種の曖昧な共犯関係が感じられた。

一番はっきりと印象的だったのは、「美術館」の出口近くで、シャネルの高額のカバンなどが売られていたことである。コンテンポラリーアートの、破格な価値体系に高額なブランド商品を接続させるというあからさまな誘導、作為が強く感じられた(しかし僕にとっては、この時に作品展示していたのだが、なぜかアート界からの取材が少なかった写真家スティーブン・ショアと仲良くなれたという貴重な機会をもたらしてくれた)。

 

この体験は、アートの新体験だろうか、それとも高い贅沢な買い物をしたり、リゾートホテルに泊まった時のようなラグジュアリー体験と同質なものだろうか?

 

シャネルとザハの、コントラバーシャルな試みは、残念ながら2008年のリーマン・ショックによって中止に追い込まれ、1年でプロジェクトは終了してしまったので、この「問い」は、中断されたまま。

 

しかし、高額なプロモーション経費をかけた、コンテンポラリーアートハイブランドフュージョンの実験を、決して「失敗」などと総括してはならないだろう。

僕は否定的ではない。

アートを活用した差異の生成の手法は、決して後戻りなどしないと思われるからだ。

もちろん、富裕層向けの単純なゴージャス系の価値生成だけではなく、さまざまな発明が試みられなければならない。

まだフュージョンは、始まったばかりなのだ。

 

ハイブランドの大半が、なんらかの形で、コンテンポラリーアートとのフュージョンを行っている。そして、それはかつてと比較にならないほど増大化している。

 

ベルナール・アルノーのLV MHグループは、2014年1に、現代美術館FONDATION LOUIS VUITTONフォンダシオン ルイ・ヴィトンを、パリにオープンさせた。アルノーのコレクションだけでなく、時代の最先端を行くコンテンポラリーアーティストへのコミッションワーク、企画展を開催(美術館の設計は、フランク・ゲーリー)。ここでしか手に入らないグッズなども開発している。

 

また、アルノーの最大ライバルともいうべきフランソワ・ピノーは、グローバルなコングロマリットであるケリングを率い、バレンシアガ、グッチ、サンローラン、ボッテガ・ヴェネタアレキサンダー・マックイーンなどのブランドを有するだけでなく、コンテンポラリーアートの大コレクターでもある。

彼はすでにベニスに2つの現代美術美術館をもつ。2006年にはパラッツォ・グラッシを、そして2009年には安藤忠雄の設計によるプンタ・デッラ・ドガーナ を開館。マウリッツォ・カテランや杉本博司コンテンポラリーアートのコレクションを誇り、また2017年にはダミアン・ハーストと組み「Treasures from the Wreck of the Unbelievable 」を両館を使って開催し、ベニスビエンナーレに来たアートファンの度肝を抜いた。

現在、ピノーは悲願と言うべきパリでの美術館にとりかかっている。設計は今回も安藤忠雄である。場所はルーヴル美術館からもポンピドゥセンターからも近い一等地。オープン予定は2018年末の予定だという。

 

このほかにもプラダなどハイブランドが、独自の現代美術館を開館する動勢は、ますます強くなっている。 しかし、アートフュージョンは、ハイブランドだけの現象ではない。

 

コムデギャルソンやマルタン・マルジェラのようなブランドは、ファション自体をアートそのものに、生成変化させることを狙っているし、またユニクロH&Mのようなファストファッションもまた、アートの要素を積極的に取り入れている。

 

この、総アートフュージョンへの志向は、なんなのだろうか?

それは、単純にはコンシューマーの変化。

そして、アートフュージョンを新たなアートワールドの「ゲーム」として受けいれるアートピープルの変化である。

欲望のシフト、次に、未来に何をもとめているか。「欲望の進化形」を、いかに先取りし、新たな「市場」を切り拓けるか、そのトライ&エラー。

 

ブランドもさることながら、パリの老舗百貨店であるギャラリーラファイエットは、以前から、パリで毎年開催される国際アートフェアFIACの公式パートナーだったが、独自の現代美術館の設立に打って出た。こんどの建築家は、レム・コールハースである。

 

 アートフェアによるグローバルマーケットの活性化と、ファッションのブランディング手法が出逢うことで、どのような発明が行われるのだろう?

単に、百貨店のショーウィンドウにアート作品と、服を着たマネキンを併置したからアートフュージョンになるということは全くない。

それは、ルイ・ヴィトン村上隆草間彌生オラファー・エリアソンと組んだ新しい価値創出よりも、さらに後退した、お茶濁しでしかない。

ハッキリ言えば、商業がアートを利用している陳腐な事例でしかないし、少しでもコンテンポラリーアートリテラシーを持ち、また、ハイブランドのブランド戦略のスリリングな挑戦を知るものならば、失望を誘うだけだろう。

いかにキュレーションのイノヴェイションや変成がおこなわれたか、そこが問題なのだ。

 

日本においても、先駆的な挑戦の事例があることを明記しておきたい(自分の事例なのだが、お許しねがいたい)。

2012年に三越伊勢丹は、新宿の本店をリモデルしたが、その時に2つのプロジェクトを実施した。

1つは2011年に発生した東日本大震災をアートによって支援するプロジェクトKISS THE HEARTである。新宿、銀座、日本橋の旗艦三店の全てのショーウィンドウを、若手アーティストと組み、独自のキュレーションのもとに、商品は入れずに、あくまでも企業ヴァリューの施策として計画された(作品はなんらかの形で、1ヶ月の展示のあと、百貨店内でオークションを行い、売り上げは全額、東北復興のために寄付された。3年間で約1000万円)。

僕はこのプロジェクトのディレクターとして指名され、キュレーション開発をおこなったのだが、いかにアーティストのヴァリューと、企業ブランディングのヴァリューアップを相乗させるかに最大腐心した。

アーティストは全て新作制作を依頼したが、直接的に、東日本大震災をテーマとすることは求めては、いない。また同様に、商業空間、ひいては資本主義のスペクタクル空間への批評性への表現規制、注文も行わないようにした。津波・震災・放射能汚染というトリプルな厄禍を、想像力の力で、いかに未来に向けてポジティブに変成できるか。

課題は、そこにある。

最悪を最善に変成できるか?

それは、コンテンポラリーアートに突きつけられた正念場でもあった。KISS THE HEARTは、超商業的な、ブランディングであったのだ。

 

3年間で150人を超える、最も才能ある若手アーティストが参加する巨大なプロジェクトとなり、ここでは少しだけの事例紹介にとどめたいが、例えば、アンリアレイジというブランドを率いる森永邦彦は、伊勢丹新宿の角の最も商業価値の高いスペースに、特殊な塗料で真っ白に塗られた「シキビ」をオリジナルで作品化した。シキビとは葬式の時の花輪である。そこに一定時間ごとに、強いブラックライトが当てられると色彩が浮かび上がる。これは、見事に状況を逆手に取ったある種のコンセプチュアルアートであり、傑作と言ってよい。

また、その後、さまざまな国際展から引く手あまたとなった片山真里や、ニューヨークで成功をとげたヒョンギョンらのキャスティングには、普段は商業主義へ厳しい意見を述べる美術館キュレーターからも、高い評価の声がよせられた。

加えて述べると、日本のコンテンポラリーアートの巨匠格である宮島達男(決っして商業の仕事はしない)が、これも他のアーティストとのコラボを絶対しない三宅一生と、組んで作品をつくったことも明記しておかなければならない。

これは、直接的には商業価値を生み出していないように見えるけれど、実は大きな企業価値を生成させることに成功した事例だと言えるだろう。

 

日本においては、厄禍は、反復して訪れるものであり、決してKISS THE HEARTは、特殊ではない先行事例と知るべきなのである。

 

さて、もう一つのアートフュージョンの特筆すべき事例が、新宿店のリモデルにあたって作られたコンセプト・カタログ『Future Curation』(編集は後藤繁雄+後藤桜子)である。

メインヴィジュアルとして制作された名和晃平による立体(いよいよブレイクというタイミングだったスーパーモデルmonaを3Dスキャンし、1.5倍に変換し出力したミューズ)と、ハイブランドを着たmonaを写真家・篠山紀信が名和のファクトリーであるsandwichスタジオで撮りおろしたこともアートフュージョンであるが、さらに重要であったのは、世界的に活躍する美術館キュレーターとファッションデザイナー数十人に、アートフュージョンについての意見、戦略をメールアンケート、メールインタビューしたことだろう(また巻頭には、トップキュレーターのベアトリクス・ルフ、最もラディカルなアーティストであるカールステン・ニコライ、そしてマルタン・マルジェラと組み、またメゾン・キツネに関わるデザインユニットであるアバケのコメントも入っている)。

 

これはある意味では、来たるべきアートフュージョンの「ソースブック」であり、コンテンポラリーアートハイブランドフュージョンをさらに加速する戦略であったと言えるだろう。

 

ギャラリーラファイエットのような百貨店が、コンテンポラリーアートを包括したビジネスに挑戦し、またコムデギャルソンがドーバーストリートマーケットのような戦略的なセレクトショップを世界展開するように、アートフュージョンの戦略は、景気動向に左右されながらも、確実にすすんでいる。

この流れは、不可逆なものだ。

 

来るべきキュレーターが、ハイブランドから輩出されるのか。

それともガゴシアンのようなグローバルなギャラリーが、「フィギュア」や「アートグッズ」「アートピース」「エディション」を生産・販売する中から、新たなキュレーターを輩出するのか。

それとも新たな「セレクトショップ」の進化をはかるリテイルストア、百貨店やオンラインストアから新型キュレーターが登場するのか。

 

アートフュージョンは、かつてない強力な「価値創出」のためのキュレイションの手法である。

このキュレーションのイニシアティブをにぎる者が、価値の未来を手に入れることができるのである。