コンテンポラリーアート虎の巻

コンテンポラリーアート論

29キュレーションは、どのような新しい戦略的な手法に進化していくのだろう?

2012年に出版された、ハンス・ウルリッヒによるインタビュー集『キュレイション』は、アートシーンを牽引していく重要な役割をはたすキュレイターという存在を、はじめて歴史化する作業であった。したがって、まずは彼が選んだのは、パイオニアたちということになる。

しかし彼の目論見は、変動するアートワールドに対して、キュレーションもまた変動するわけであって、その始原のラディカリズムと、未来への可能性を再編・再生・新生させることにある。

彼が21世紀アートシーンのキュレイションの始原に、ハラルド・ゼーマンやポントゥス・フルテンらがもつ「包摂性」を重視するのは、その意図のあらわれである。

 

今やアートの文脈をこえ、キュレーションというコトバ は便利なものとして、すでにwebで「キュレイション・サイト」と称し、既存にあるサイトを複数とりこみ、より影響力のある「プラットフォーム」を再編する編集手法が、有効な戦略として脚光をあびている。

アートの文脈で使われていた「キュレイション」という用語が「編集」というコトバにかわり、進化形としてとりあげられているのだ。DJ、料理、インテリア、ライフスタイル、、。さまざまな分野で自称「キュレーター」と名乗る人が次々に現れる。だからこそオブリストは、そのアートにおける始原を明確にする必要があると考えたのだろう。

 

かつてバックミンスター・フラーは、先駆的に「専門分化とは事実上、奴隷状態の少々おしゃれな変形に過ぎない」(『宇宙船地球号  操縦マニュアル』)と明確な否定を行い、「包括的な知性」をもつ大海賊(グレート・パイレーツ)てなければならないと説いた。彼は専門化を単に否定するだけでなく、オルタナティブな一般原理としてシナジェティックスを提唱したが、キュレーションにおいて今、まさにこのことが強く留意されなくてはならないだろう。

 

「キュレーション」を、テーマとした本が雨後のタケノコのように次々に出版され、ネコもシャクシも「キュレーター」を名乗りだしている。しかし、情報を編み。価値を生成させる「拡張された編集」という限定的なノウハウ化するのではなく、その全体性をこそを問わなくてはならない。

 

例えば、イエンス・ホフマンが編集した『Show Time: The 50 Most Influential Exhibitions of Contemporary Art』は、そのための必携の本の1つである。すぐれた仕事は、まず最初に現れる。

ニューヨークベースのホフマンは、1974生まれで、1968年生まれのオブリストより、さらに若い世代に属するコンテンポラリーアートのキュレーターである。彼は世界の様々な美術館での修行をつみ、現在はジューイッシュ美術館のヘッドキュレーターであり、アートマガジン「Mousse」の編集にもかかわっている。

また、キュレーションの原理を議論するための編著「Ten Fundamental Questions of Curating」を2013年に、また小冊子ではあるが必読の著作「(Curating) From A to Z」を 2014年に発表するなど、「キュレーション」の可能性を開拓しようとする重要なプレイヤーなのである。これらの本は、キュレーターを目指す者にとって、必読の本をとなるだろう。

で、ホフマンの「Show Time」であるが、これはこの20年間に世界中で開催された、美術館や国際美術展の中から「イノベイティブ」と思われる50の展覧会を厳選し、9つのベクトルに分類したものである。

 

最初にいきなり脱線してしまうことをお許し願いたいのだが、まずはハラルド・ゼーマンの話を前振りでしておきたいのだ。

ホフマンもまた偉大なパイオニアであるキュレーター(exhibition  maker)ゼーマン(1933–2005) の信奉者であることを隠さない。「Show Time」は巻頭に、ゼーマンに捧げる、と明記されているのだから。

ゼーマンについての「研究書」も、彼の没後から急速に進みだしている。2007年に出た「Harald Szeemann : Individual Methodology」は、彼の主要な展覧会と彼が展覧会を組織するために作り続けた、アーティストリサーチの膨大な資料アーカイブ、関係者インタビュー、展覧会のスケッチや交渉資料などがコンパクトに編集されている。

彼の「カオス」というべき資料は、28,000 冊を超すアーティストブックや出版物、36,000 枚を超す写真資料などからなるものだった。スイスのマッジャMaggiaに建てられていた「資料館」に保存されていたが、2016年には、アメリカのThe Getty Research Instituteに移送され、まるごと保存された。これ以降、急速にアーカイブの全容。ゼーマンが構想していた「キュレーション」の全貌が研究対象になっていくのだろう。

この巨大なアーカイブや資料館の写真を見るにつけ、すぐさま連想されるのは、バックミンスター・フラーの、これもあまりに巨大なスクラップブック「クロノファイル」であり、IBMコンサルティングを行っていたデザイナー、チャールズ&レイ・イームズ のスタジオ「901」である。

キュレーションというコトバ同様、アーカイブというコトバも、オンライン世界の重要なストラテジーになりつつあるが、やはり、モノが時空を孕みながら持つ「情報の奥行き」を、忘れてはならないだろう。

 

僕は幸運にも、個人的に2017年の夏に、ベニスビエンナーレを観た後、列車で、現在もゼーマンが行った「展覧会」が常設で、そのまま保存されているスイスのアスコナにある Monte Verità(Casa Anatta Museum)を訪れることができた。

 ゼーマンは、1978年にモンテヴェリタ展「The breasts of truth」を組織した。最初に言っておくと、このキュレーションには美術作品はまったくない。イタリア語版とドイツ語版のカタログにももちろん作品は載っていない。

しかし小さな3フロアにギッチリとモノ、本、写真などの資料が蒐集され見事に整理されキュレーションされている。美術館の入り口には、モンテヴェリタ展で観客を引き連れギャラリーツァーを行うゼーマンのビデオも流れてるいる。未来のキュレーターや研究者には、格好のケース・スタディーになるだろう。

ゼーマンのモンテヴェリタ展への熱の入れようは、異様なほど強い。この、ヨーロッパの北の文化圏と南の文化圏が交差・混交する場所に、20世紀において、たくさんのアーティスト、思想家、運動家たちが訪れ、移住し、コミューンを形成した。

アナキストバクーニンクロポトキンら)、シュタイナーなどの神秘主義者たち、多様なヌーディストやコミューン主義者たち、アーティスト(ダダイスト、クレーやモホリ=ナジら)、深層心理学者によるエラノス会議(ユングら)、ダンスアーティストたち(シャルロット・バラたち)が集まったのだろうか?

メンバーを列挙するだけでも、西洋の隠されたアンダーグラウンド文化論としてあつかうことは興味深いことだ。

 

しかし、ゼーマンはそんな「博物館」「文化芸術史」的な興味にとどまっていない。キュレーションを観て思った実感は、磁場生成過程や、磁力がいかに生成・変成するかにゼーマンは興味があったのではないか。

誤解を恐れずにいえば、文化やアートを生み出す始原としてのアルケミーにこそ、彼は興味があったのだろう。

モンテヴェリタに集まったのは、筋金入のユートピスト、聖地をここに建設しようとする霊能者、国家を解体し自由なプロレタリアートの時空を出現させようとする革命家。思想と世界の包摂性を持つヴィジョナリーたちである。

 

ヴィジョナリーになるということ。

 

アスコナは光に溢れている。

聖なる山々と湖水。

温暖な気候は、植物を生命力あふれるよう育成する。地球上でも特別美しく、そしてスピリチャアルな作用の働くパワースポットだ。

展覧会をどう作ると同時に、ゼーマンはヴィジョナリーになるということをキュレーションを通して学んだのではなかったか。モンテヴェリタのヴィジョナリーたちの一員に、彼もなろうとしたのではなかったか。

アーティストは、アルケミーを操れる、価値の魔法使いである。美術館という白い箱、いや世界そのものを磁場に変換すること。彼のキュレーションの営みは、資料館や図書館をつくるためでも、美術論を書くために集められたものではない。

それは、そのあと彼がドクメンタやベニスなどで破格なキュレーションをやってのけるための、エネルギー注入のようなものだったにちがいない。

 

ゼーマンにインスパイアされた、若きキュレーターたちはこれからどのようなキュレーションを「発明」するのだろうか。

さて、イエンス・ホフマンの「Show Time」にもどろうか。

 

先ほど、ホフマンは9つのベクトルに分類していると書いた。

①Beyond  the  White  Cube

②Artists as  Curators  as  Artists

③Across the  Field  and Beyond  the  Disciplines

④New  Land

⑤Biennial  Years

⑥New  Forms

⑦Other  Everywhere

⑧Tommorrow’s  Talents  Today

History

それぞれの項目に対して、5から6つの加古の展覧会や国際展が取り上げられ、写真とキュレトリアル・テーマ。キュレーターなどのスタッフリスト、参加アーティストリストが、リスト化された十全の資料がついている。

 ①は、ミュンスターの彫刻プロジェクトのよいに既存の美術館ではなくて、街中の展示など社会実践的なもの

②は、アーティストたちが批評性をもってキュレーションするもの。ダミアン・ハーストの1998年のFreezeやジョセフ・コスースが1990年にブルックリン・ミュージアムでキュレーションした「The Play of the Unmentiomable」など。

③は、建築や科学、マスメディアなど別分野とのコラボレーション。ハンス・ウルリッヒ・オブリストとホウ・ハンルが1997年にやった「Cities on the Move:Contemporary Asian Art on the Turn of the 21th Century」、そしてオブリストの「Laboratorium」らが取り上げられている。

④は、文字通り地球的な探求であり、象徴的には、かのJ- H・マルタンによる「大地の魔術師たち」展でからオクウィ・エンヴェゾー らのキュレーションなど。

⑤は、マニフエスタやドクメンタ、リヨンビエンナーレ、ベルリン・ビエンナーレイスタンブールビエンナーレを取り上げる。

⑥は、20年間にさまざまにイノベーション開発された展覧会の多様性集。第50回のベニスビエンナーレなど。

⑦は、民族、ナショナリティ、階級、性などを扱ったキュレーション。

⑧は、ニコラ・ブリオーの「関係性の美学」がクローズアップされた「Traffic」展など。

最終章⑨は、美術の歴史やフェミニズムコンセプチュアルアートの歴史そのものを再編しようとする展覧会などである。

このように「Show Time」は、ざっくりとではあるが過去のキュレーション史のパースペクティブを概括するにはもってこいの本だ。ラストでスーパーキュレーター7人がホフマンの司会で、キュレーションのイノベーションについて議論しているのも刺激的だ。

 

ならば、現在、そして未来のキュレーションはどのような道が開けているのか。

 

最後に、アートヒストリアンのテリー・スミスが、現役最前線で活躍中のキュレーターインタビュー集「Talking Contemporary Curating」や、2016年に出た極めてホットなキュレーションの事例を集めた「The  New  Curator」も、コンテンポラリーアートにおける世界のキュレーションの動向を知るには、必読といえるだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

現在のコンテンポラリーアートが、美術館や国際美術展ビエンナーレトリエンナーレ)とアートフェアの二極を中心に動くようになった今、アートにかかわる者はすべて、この事態を直視しなければ、アートワールドにおける「試合」に参加できなくなっている。

極論すれば、「オルタナティブな価値」を独自形成するか、逆に、資本主義よりも速い速度で消費を免れ、トリッキーなプレイをマーケットの中心で行ってみせらるか問われるのだ。

あるいは、ニコラ・ブリオーの『関係性の美学』やオルタナティブモダンという論点も、ダミアン・ハースト村上隆らアーティストたちのストラテジー、あるいは、ヴェニスに美術館をつくり、オークション会社を買収し、またブランドとアーティストとのコラボレイションを積極的にはたすピノー率いるルイ・ヴィトングループの動きなど、すべて新たなキュレイションの手法を開発しようとする挑戦と考えることができる。コンテンポラリーアートの未来は、キュレイションという手法・技術なしには、考えられないのである。

 

さて、最後に、今までの論点をふまえて、新たなキュレイションの代表的な手法となっている「アートフュージョン」について考察しておきたい。