コンテンポラリーアート虎の巻

コンテンポラリーアート論

28ハンス・ウルリッヒ・オブリストの「キュレーション」から学ぶこと

ハンス・ウルリッヒ・オブリスト(ロンドンのサーペンタインギャラリー/プログラムディレクター)が、主に1950年代から70年代に活躍した欧米11人のキュレイターにインタビューした『A Brief History of Curating』は、「キュレイション」というものが、アートの世界においてどのように生まれてきたか、その重要なオーラルヒストリー(記録集)である。

キュレイションが生まれてきた背景事情、キーマンたちと彼ら同士の相関/ネットワークについて明かした重要な本だ。

まずは、この本が明かすことをかいつまんで、要約しておこう。

 

第2次世界大戦後アートの中心は、ヨーロッパ(パリ)からアメリカ(ニューヨーク)に移行したが、ことはそれほど単純ではなく、ヨーロッパがアメリカの抽象表現主義からコンセプチュアリズムにいたる変革のアートを、どのように受け入れ、評価体制を作っていったか。そのことの理解なしには、モダンからコンテンポラリーアートへの、移行と接続のコンテキストを読み解くことは難しい。

 

例えば現在、最も影響あるグローバルなアートフェアであるアートバーゼルが、「なぜバーゼル」なのか。オブリストもそうだが、バーゼルチューリッヒ出身のキュレイターたち、あるいはオランダ、スウェーデンのキーマンが、現在のアートシーンで強い影響力を持っているのはなぜなのか。その背景の「小史」が語られているのである。

 

「キュレイション」は今や、アートの分野を超え、グローバルな情報/イメージ世界において、「価値」を再定義(再編/再生/新生)する「ノウハウ」としてもてはやされるようになっているが、実は本家であるアートの分野で、世界をリアルに動かしてきた「その実態」、つまり関係と歴史は、なかなか見えてこなかった(「日本のアート」が世界にコネクト出来なかった歴史的理由も、この本を読み進めるうちに実感されるだろう)。

 

キュレイションについてその要点を整理しておきたいと考える。

 

①60年代、70年代の前衛アヴァンギャルド・実験エクスペリメンタルが起点であるということ。

 

 歴史はリニアに進行するように見えて、実は歴史を作る者は、「例外者」である。あるいはカタストロフのようなゼロ点(リセット)であるというパラドックスがある。

歴史は等価な日常/エブリデイの積み重さなりではあるが、実はそこからはみ出す「特異」な者により、ドライヴはかけられる。

キュレイションの歴史もまた、例外者によりその起源がつくられてきた。価値の定まらない「前衛」や「実験」つまり「問い」としてのキュレーションから、美術あるいは美術館を、再定義されなおすことが行われてきたのだ(例えば「常設展」メインのものから「企画展」へのシフト。展示場から実験場あるいは人と人を結びつける「メディアとしての場」への再編など)。

 

だからキュレイションのダイナミズムは、「前例のない仕事」を創出するアティチュードと深く関係する。当然のこと、パイオニアたちは、領域横断型(アートの内と外を往復するタイプ)として活躍することになるのである。

 

例えば、スイスのベルン生まれのハラルド・ゼーマンのことをハンス・ウルリッヒは、

 

「キュレーターというより魔法使いのようだ」と評す。「アーカイヴィストであり学芸員であり、マネージャーであり、広報担当者であり、会計士であり、そして何よりもアーティストの共謀者なのだ」

 

と書く。ゼーマンは、30代でクンストハレ・ベルンの館長をつとめ、年間に12~15回の展覧会を組織し、ヨーロッパとアメリカの新鋭アーティストを出会わせたが、69年の『態度が形になる時ー頭の中に生きる』展での混乱を問題視したクンストハレ委員会と、ベルン市行政からの圧力によって辞任。それ以来フリーランスのキュレイターとしてラディカルな活動を精力的に行う道を選んだ。

 

とりわけ1972年のカッセルのドクメンタ(5年に1度開催)で彼は、ヨーゼフ・ボイスの「直接民主制のオフィス」などのイベントを100日間にわたりプロデュースし、アートシーンに大きな「問い」を提出。ゼーマンは、キュレーターとは、突出したアートにおける「例外者」であることを身をもって示したパイオニアと言えるだろう。

ゼーマンのキュレイションは、アーティストたちへの徹底したリサーチと、共謀関係をベースに、「構築されたカオス」を出現させることを特徴とした。

 

またハンス・ウルリッヒは、コンセプチュアル・アートを中心とするキュレーターでもあり、パブリッシャーであり、ディーラーだったセス・ジーケローブ。評論家であり同時にキュレイターとして、政治的な展覧会を作り続けてきたルーシー・リパードなどをキュレイターの先駆像として評価し取り上げている。

これはキュレイションという仕事がアカデミズムのような確立化、体系化された「学」や、「理論」を目指すものというより、展覧会をメディアや実験としてとらえ(ゼーマン)、来たるべき価値、あるいは社会への問いを組織する実践的な術であると捉えることを意味する。

つまりアートを通し、社会や観衆にダイナミックに働きかけ、フィードバックを誘発させ、運動を起こし続けることを目的とするのである。

 

昨今、「キュレイション」とは情報を戦略的に編集し、力を増幅させるだけのノウハウと考える者もいるが、実験(破裂/衝突/交配/破綻と再生etc.)というモチベーションなくしては存在しないし、経済や政治の抑圧や制約があろうと、したたかに対応出来る「フレキシヴィリティ」(ゼーマン/ジーゲローブ)が不可欠であることを先駆者たちは物語っている。

 

②歴史(時空)の再編/接続

 

キュレイションの原点は、逆説的に言えば、ただ上手に配置、編集するだけでなく、異質性の衝突、その実験ということにある。それはリニアな時間軸の無化と、再生の提案をいかに行うかということ、つまり、切断し、ワープさせ、新たに接続させるという技術である。

ポンピドゥーセンターの創立に携わったポントゥス・フルテンは冷戦体制(東西陣営の対立/戦後の都市の再配置)をキュレイションのエンジンとして、『パリーニューヨーク』『パリーベルリン』『パリーモスクワ』『パリーパリ』という画期的な展覧会を組織した。それはアート(イメージの生成)の背後にある世界自体を動体として捉え、キュレイションしようとする挑戦であった。当然そこにはアート作品以外にも資料、映像がフル動員され、「総体を編み直す」作業が行われることとなる。

しかも重要なのは、「公式化された歴史」ではなくオルタナティブな、「もう1つあり得た歴史」、つまり「ユートピア」の視点がキュレイションに盛り込まれることだ。退屈な墓場としての歴史のキュレイションではなく、現実に作用し、「歴史の可能性」を再提案するキュレイション、そこにはあからさまではないが徹底した批評性が不可欠となるのである。

 

③キュレイションをキュレイションし直すこと

 

ハンス・ウルリッヒ・オブリストがインタビューした「キュレーター」たちはある意味で、モダン社会がポストモダンの時代に突入した時に闘った人たちである。そこには、不定形だが可能性に賭ける「愛と情熱とオブセッションゼーマン)」がある。

その意味でコンテンポラリーアートという分野は、人間の想像力が最もラディカルにプログラム開発されている領域だと言ってよいだろう。

と同時に、極度に加速化される資本主義=消費主義に抗うクリエイションを、アーティストたちと共謀しつつ生成・増幅できる力がキュレイターの腕となる。

 

その意味でハンス・ウルリッヒのねらいは、60年代/70年代のキュレイション創世記のキュレイターたちに学びつつ、今後ますますキュレイションというプログラム開発が押し進められなければならないという宣言とも受けとれる。

21世紀を迎えてからのグローバル経済の動きは、地球の文化的地勢を大幅にぬりかえしているし、(メガシティの誕生、南北問題、経済のアシンメトリー性、中国の台頭の誕生など)、逆にキュレイションは政治・軍事的大国主義と抗するマルチチュードや文化的戦略性をおびるようになっている。そして、また情報の巨大化によっておこる無思考状態(判断停止)や記憶喪失状態といかに抗するかも重要になる。あまりに巨大で高速な情報は逆に「すべては無かったことと同じ」になってしまうからである。

 

僕がオブリストに2008年にインタビューした時に、彼が言った発言はきわめて印象的であった。

 

レム・コールハースとデジタルエイジにおける健忘症についてよく話をします。”忘れない”ということはアートに関わる者にとって、本当に大事なこと。私のような”新しいプラットフォーム”をアーティストたちに提供する立場にある者は忘れてはいけません」

 

消費や忘却に抗しながらクリエイティブな力を再編/再生/新生させること。”新しいプラットフォーム”は才能とクリエイティブな組織が出会い、新たな価値を生み出す仕組みやプログラムのことを指す。キュレイターは、常にフレキシブルで、オープンで、横断的で、新しいアーティストや作品の生成(開発)に参加しなければならないのである。

 

キュレイションの目的は、止むことのない価値の活性化、生成にある。それは言い換えれば「問い」を製造し続け、人々に思考と行動の場を与えると言ってよいだろう。そのためにキュレイションは、ただものごとを食べやすく並びかえるためのものではありえない。ポストモダン社会という、歴史の時系列がバラバラに情報化され、猛烈な資本主義/消費主義にさらされた嵐の中で、そのつどつどの結成点を再編/再生/新生させる作業なのだ。

 

その意味で、これからのキュレイションを考えることは、すでに生み出された過去のキュレイションもまた再編の対象としてキュレイションしなおしていく過程ともなる。

また、あるキュレイションを「決定項」とするのではなく、「もう一つのありえたかもしれないキュレイション」、つまりオルタナティブなキュレイションを再組織することにもなるだろう。

 

その意味で、ハラルド・ゼーマンが1969年行ったキュレイション『態度が形になる時ー頭の中に生きる』が、その時の展示室ごと再現されたことはきわめてシンボリックな事件であった。

時代の行き方がますます見通せなくなる中で、60年代や70年代のアーティストの活動やキュレイションを再考し、来るべき未来へと接続することは、「キュレイションの現在」にとって基本姿勢と言えるものなのである。