コンテンポラリーアート虎の巻

コンテンポラリーアート論

27変換のアートについて考える。アニッシュ・カプーア、名和晃平をめぐって

この20年間ぐらいの個人的な体験の中から、特別に印象的だった展覧会をあげろと言われたら、僕は2009年の、アニッシュ・カプーアのロイヤル・アカデミー・オブ・アーツでの個展をあげるだろう。

 

カプーアは、1954年生まれ。インド系のイギリス人アーティストであり、1991年には、ターナープライズを受賞。2012年のロンドンオリンピックを象徴するタワー、115メートルの「アルセロール・ミッタル・オービット」のデザインも行ったので、日本でもその名は、広く知られているだろう。

 

このロイヤル・カレッジの美術館での個展は、大規模なもので、彼の代表作、近年の未発表作が結集したものであった。

初期の顔料を使ったピグメント・スカルプチュア、ステンレススチールでできた歪み鏡の彫刻、セメントによる彫刻、また入り口にはSvayambhとタイトルされた(サンスクリット語でセルフジェネレイトを意味する)巨大な彫刻が展示されていた。

なかでも、巨大な赤いワックスの塊を、列車のレールのような移動式の台車に乗せ、部屋から隣部屋へゆっくりと動く作品は圧巻であった。クラシカルな金色のモールで縁取りされた回廊を、無理やり塊が移動する。当然、はみ出た赤いワックスは、狭い壁に挟まれ削ぎ落ちる。展覧会終了後、壁は全てやり直さなければならないだろう。圧巻の異物。デビッド・リンチの映画『デューン』に出てきそうだが、なんと無意味な機械だろう!

また、同じく赤いワックスを砲弾につめ、美術館内の内壁に打ち込み続ける作品もあった。

これもまた、無意味なものが引き起こす感情のパニックが痛快であった。轟音とともに赤いワックスが飛び散ることに対して、観客へのガードが全くといってないこともまた愉快であった。芸術鑑賞は自己責任で、といわんばかりのイギリス流かと思われた。

 

しかし、さらにそれ以上に、僕の脳天をくらくらさせたのは、コンピューター制御の「アイデンティティ・エンジン」を駆使し、コンクリートをしぼり出して作った作品群「Greyman cries Shaman Dies Billowing Smoke Beauty Evoked(グレイマンは泣き/シャーマンは死に/うねる煙/美は喚起される)」であった。

作品を生産したのは、元はデジタル印刷機=出力ロボットであった。

 

それは、とうてい自己表現としての「彫刻」や「オブジェ」でもなく、エイリアンのつくった砂塚か、微生物の排泄物が集積した塊など、「ありそうでありえない形態」であり、その生理的なフォーム、テクスチャーによって、何故かきわめてエモーショナルな感情が湧き上がってくる。

パレットの上に置かれた、シロアリが創発的に作ったような砂塚状(ウンコのような形)の山は、コンクリートの材料のようでありながらも凝固していなくて、観客はそのパレットの林の狭い通路を歩くうちに、それに触れてしまう。作品は脆くもボロボロと崩れ落ちるのだ。その変形、解体、消滅もカプーアは、作品として楽しんでいるに違いない。

 

この作品を構成しているのは、ポストコンセプチュアルと言ってもよい、プログラム・データとしての作品(非物質・情報系)。イノベイティブなコンピューター制御された機械。精緻な構造計算(彼の作品の多くは、コールハースの建築などでも知られる構造設計家・建築家のセシル・バルモンドがサポートしている)。そしてマテリアル開発だ。

 

カプーアの目論見は、当然ながら自己表現ではなく、人間の想像を超えた事態、つまり物理やマテリアルがいかにして人間の生理系、神経系にダイレクトに働きかけ(つまりイリュージョンやシアトリカルな手順をへないで)感覚(ドゥールーズがフランシス・ベーコン論で言うところの)をひきおこすかということへの挑戦である。

 

重要なのは、作品はプログラムだから、砂山が崩壊しても、何度でも再演できることだ。

これは、カプーアの今までの他の彫刻作品には見られなかった戦略性だと僕には思われる。

厳密に言えば、情報と物質の「変換」こそが「作品」であり、それが展示環境(現実)の時間経過による観客の参加(関係)で、歪形(消滅化)するところがこの作品のラディカリズムなのだ。

 

しかし、このような情報系から物質系への変換。

そしてモノ(ニューマテリアル)が神経系を直撃するコンテンポラリーアートは、何もカプーア1人の発明ではない。

ある意味では、カールステン・ニコライや真鍋大度のデータ・ヴィジュアライゼーション作品やロボティクス作品、デジタルデータのエラー出力を「写真」として提出するフォトアーティストたちも、同様のストラテジーによるものだ。

ポストインターネットの動きの中で、「変換」を戦略とする数多くのアーティストたちが、新たな磁場を形成してくるだろう。

 

彼らの作品、方法論やストラテジーは、決して単独で孤立したものではないと思われる。一時的なものでもない。

なぜなら、グローバル資本主義(インターネット金融システム)が生み出す「流動性」は、現在の都市性の根本にある特性であり、アートの価値の生成も、「情報」と「マテリアル」の交通・変換の中で起こるからだ。

 

今まで最も資本主義アートの典型であった、ポップアートのバリエイション(例えばブリットポップとか、チャイナポップだなど。ある意味村上・奈良もキャラクターという点では、その範中と言ってよい)とは異次元の事態がコンテンポラリーアートという場でおこっていると考えるべきなのだ。

 

ことのシフトは、極めて重要な変化である。

 

前章では、90年代末からのトーキョーアートの流れを概括したが、続いて、ここで名和晃平が置かれている立ち位置について考えたい。

 

名和晃平は1975年生まれ。2003年にキリンアートアワードに作品「PRIZM」シリーズで応募し、知られようになった。これは、特殊なプリズムシートのハコに「現実」のオブジェを閉じ込め、視覚を含めた知覚を虚像化、変換する名和晃平の実質的なデビュー作品であった(あらかじめ言っておくと、ガラスビーズで覆われた作品「BEADS」もそうだが、名和においては、PixCellという基本コンセプトが重要だである。これは名和の造語であり、PixCell=Pixel(画像)+Cell(細胞・器とされる)。

プリズムボックスの中のオブジェは、美学的に選択されたものではなく、ネットの中からキーワード検索で掛かったオブジェクトであるところも重要だ。

 

その後、彼はオークションに提出され、最も人気の高い剥製を購入し、その表面をガラスビーズで覆ってしまう人気作品「BEADS」シリーズを作るのだが、これもコレクターの欲望をそそる視触覚的な魅力を孕みつつ、実は資本主義化で高速に流れる情報を再編、変換させるラディカルな作品と言ってよい。

 

2004年にKPOキリンプラザでのグループショー「Hi-energy field」展では、コンピュータ制御によるシリコンオイルの泡の作品を発表(これは、4人のノミネーターが4人のアーティストを選ぶグループショー。ノミネーターは、キリンのアートコミッティメンバーであった椹木野衣ヤノベケンジ五十嵐太郎後藤繁雄。過去の受賞者から各自がアーティストを選抜する共同キュレーションの形式であった。名和晃平は後藤のノミネートによる)。

次々と発生するシリコンオイルの泡。マテリアルの機械的な反復(泡の生成と消滅)が生み出す、陶酔感を感じさせる作品を提出した。

それらは、まさに感覚のデバイスとして作られており、無媒介に神経系を直撃してくるものであった。

 

これらの作品は今や、名和晃平の「初期作品」と呼ぶべきものかもしれない。

名和はロンドンでの短期留学から大学にもどり、本格的に作品を作り出していた。キリンのアワードに応募したのは、その直後だ。

印象的だったのは、彼の発言だった。日本独自のサブカルチャーは、面白いけれど、安易に作品のネタにはできない。世界中どこへ行っても表現として成り立つことを目指したい。今の時代だけを相手にしない。今だけの「ウケ」を狙わない、ある普遍性が必要だと言っていたことだ。

小さな差異を競うことではなく、時にはその時代のムードから離れること。

そう考えると、名和は90年代の「スーパーフラット」とも「マイクロポップ」とも接点なく始めたのである。

ポストモダニティ?

ニューモダニティ?

この時代における「ある普遍性」とはなにか?

そんなものは、可能なのか?

 

 

2011年6月には、男性作家としては最年少で東京都現代美術館で個展を行い、これを成功させ、瞬く間に2010年代を代表する国際的なアーティストに成長した。しかし、彼の戦略は当初と、全くぶれていないと僕は思う。

資本主義の渦の中に飛び込みながら、その消費の正体(スカム化、エントロピー増大)と抗しながら、戦線を拡大し、次々と「精力的に」作品を生み出していく。

 

かれがモチーフとする「鹿」の剥製もまた「商品」であり、「情報」である。単に「彫刻」を作ろうとしているのではない。

流通する多くの剥製は、アメリカでつくられた型に、発泡ポリウレタンを充填し、外側に鹿の皮を貼りつけてつくられている。つまり、すでに剥製自体がフォーマット化・情報化されたオブジェになっていて、それがまた情報として扱かわれる。名和はそれを、PixCellというフォーマットに変換するのである。

気がついてみると随分以前になるが、僕は彼が、従来のビーズを装着した「鹿」の作品を「ダブル」に変形させた作品にとりかかっている時に、インタビューしたことがある。

彼は、非常に印象的な発言をした。

 

「このアイディアは、2体の「鹿」を「重ねて、ズラす」ということなんです。Photoshopなどのアプリケーションで画像を選択し、Shiftボタンを押しながらコピーアンドペイストするように。すっごい乱暴なつくりかたをしています(笑)。
デジタルに行ったり、アナログに行ったり。トランスコードを繰り返すなかで、結局、いままで遭遇したことのない「何か」に落ちつく。その「わからなさ」が面白いんですよ。さらに百貨店のショーウインドウプロジェクトで「ダブルのマネキン」へと発展させたんです。「消費されるボリューム」をテーマにして、全身スキャンしたモデルの3Dデータのリアルなポリゴンと粗いポリゴンのボリュームを「重ねて、ズラす」だけのワンクリックでつくる彫刻。そのデータを元に発泡スチロールをコンピューター制御で削り出し、手作業でブラッシングして仕上げています」

 

彼は自分の肩書きを「彫刻家」と語るが、この発言を見てよくわかるが、その「彫刻」というコンセプト自体が情報化社会の中で「メタ化」され、変化している。変換こそが彼の武器なのである。

 

彼は獰猛な資本主義の渦の中にダイブし、消費されるギリギリの中に立たされても反転し、闘いつづけるために、「クリエイティブ・プラットホーム」とよぶスタジオ、SANDWICHを設立し、運営している(元サンドイッチ工場だったところをリノベイションして作られたのでこの名がある)。これは従来のアーティストの制作アトリエではなく、建築、商品開発、ステージアートなど様々なプロジェクトのためのファクトリーである。また、海外から来るアーティストたちの、レジデンスの場所としても機能している。

 

僕は名和からの相談で2014年に、『KOHEI NAWA | SANDWICH: CREATIVE PLATFORM FOR CONTEMPORARY ART』を編集・ディレクションした。本を作るために、その時、名和の世界観(ヴィジョン)、クリエイション、ストラテジーなどについて10時間以上にわたってインタビューをしたことがある。

名和がアーティストとしての自己と、SANDWICHという装置を、合一させたり、分離したり、矛盾をはらみながら構想されているところがスリリングで面白いと思った。スマートな会社にするか、変容しつづける奇妙なオーガニゼーションを目指すのか。

アーティストのスタジオという形態も、先駆的にはアンディ・ウォーホルのFACTORYが挙げられるが、いまや、そんなに呑気なユートピアではありえない。スタジオ・オラファー・エリアソンも、ユニークなオーガニゼーションだが、オラファーも、そして名和も、未来に向けて、スタジオをどうしようとしているのだろう。

名和にとって、さまざまな情報の変換。そして、マテリアルの開発。資本主義や都市の流動性が生み出す分裂が、彼の表現の1つのエネルギー源になっていることは間違いない。スタジオは、それにアクセスするための装置でもある。

「学生の時に、PixCellシリーズをつくり出した頃も情報という概念と向きあわないとやっていけないと思ったし、最近では、いろんなプロジェクトに積極的に身をさらしてるような状況があり、「やめといた方がいいんじゃないか」というまわりの声もあるけど、僕自身にとっては逆に発想の元になっているんです。
私小説的な世界を生み出す自己表現ではなくて、自分自身が媒体とか触媒みたいな存在でありたい。何が入って来てもそれなりに返せるということがよりアートやアーティストに求められるでしょう。

アーティストは、まず我々のいるこの「世界」がいったい何で構成されているか?  という解釈から入らなければならない。それは「物質≒エネルギー」そして「情報」です。ひとつの造形を物質、エネルギー、そして情報の交換・変換で生まれたものとして見る。モノを生み出す時も、「情報の海から何をとり出すか」って考えないと、単に「自分の好きな世界をつくりました」とか、もう響かない時代だと思うし」

 

「実は今という時代は、資本主義だったり、アートマーケットだったり、何かシステムがあるとしたら、その「破れ目」みたいなものが沢山見えている状況だと思います。それをアートにしてやろうみたいな「したたかな人」がもっと出てくるべきです。「破れ目」から、新しいものが出てくる可能性はすごく感じる。だから今、アーティストが何かをしかけやすい状況だと思う」

 

これらは、ちょうど、2011年の東日本大震災の直前、名和晃平東京都現代美術館で個展をやる前に、僕が彼にインタビューしたものの中から抜粋したが、彼の基本的なスタンスを実によく物語っていると思う。

この時点での発言を記したいと思ったのは、それが、実は2011年から2020年への、ディケイドの基本認識を極めて明示(先見といってもよいが)しているからだ。

彼の戦略的なスタンスは、他の「変換」系のアーティストと共有できるものだ。

ここに重要な示唆がある。

 

2017年の現在、名和晃平のアーティストとの活動は、驚くほど拡大し、もはや日本だけの展示ではなく、サンパウロ、ロンドン、上海、パリなど、ほとんど毎月、世界の都市で個展が開催されるようになった。2017年秋には、1970年以降の日本の現代美術作品を、長谷川裕子がCentre Pompidou-Metzにおいて「アーキペラギック」にキュレーションした画期的な展覧会「Japanorama. New vision on art since 1970」の100人のアーティスト(350を越す作品)にも選ばれ(FORCEを展示)、同時多発的にさらなるプロジェクトも進行している。

ブレークスルーがやって来たと言ってよい。

僕も追走しながら、来春刊行を目指して、今、彼の巨大な「新しい作品集」の編集に取りかかっているところである。

 

「ある普遍性」とは、かつてのような真善美的なものではありえない。グローバルな情報系インフラは、たしかに流動性のものだ。だからこそ、その変換システムだけが、自在でいられる。デュシャンなら「関数」と言ったろう。

 

名和晃平の「変換」のアートが、いよいよ、どのように世界にむけて進展していくのか、実に楽しみではないか。