コンテンポラリーアート虎の巻

コンテンポラリーアート論

26トーキョー・アートストーリー。1995年から2011年そして2020年へ

創る、見る、理解する、展示する、売買する。

アートワールドは、幾つにも階層化されて、矛盾に満ち溢れながら、様々に接続し、変成、増殖、奇形化しつづけている世界だ。もはや既存のイデオロギーやセオリーは通用しやしないし、矛盾を含んだ、アートワールド=変成し続けている資本主義の全体をつかんでいるプレイヤー(アーティストから批評家、ディーラー、キュレーター、コレクターにいたる)も数少ないだろう。

理解放棄しながら、しかし、なしくずしに共存しようとしているのである。

 

アートワールドがグローバル経済の動きに、全く同期したのは、90年代のどこかであったように思われる。

それは、最初はバブル崩壊以降の、タイムラグあるポストモダンな些少な変化だと思われていたのだろうが、その高低速含んだ渦は、枯葉剤のように見事に古い批評を根絶やしにしてしまった。今や戦後派の批評文を読み人など誰もいやしない。

失効したのだ。

 

イオンモールがあらゆる商店街を駆逐し、オンラインショッピングが百貨店の息をとめたように、グローバルなアートフェアは、国際的にアーティストをセールス&プロモーションしようとするローカルなギャラリーに、血も涙もなく高額な出展料を請求し、結局、解体する。

売れ始めた日本のアーティストは流出し、世界性のコンテクストと、セールスをもとめて、「外タレ」になることを選択せざるをえなくなるだろう。優れた作品は国内には無く、これも流出する。

 

またアーティスト自体も、成熟というモデルを失った。突きつけられるのは、消費の速度に抗する強度だ。

むろん天然に生成される強度だけでは、自分の「賞味期限」を防衛することなどできない。批評家やキュレーターが褒めてくれたら生き残れる、価値が保証されるわけでもなくなってしまった。

また、アーティストがインディペンデントに起業する、なんていうモデルも、すぐさま限界がでて、結局、大資本の介入の傘下に置かれてしまうだろう。

 

オフラインの「点」ではまずい。

コネクタブルな「線」でなければならず(わかりやすくするためにリゾームとよんでもよい)、ウイルスや小さな毒虫のようにサバイブしなければならないのだ。それとも、確信犯的に資本に身売りするのか。

しかし、そのどちらかが善で悪だと裁きたいのではない。事態は、そんなに単純ではないし、傍観してるほど呑気ではない。

 

必須なのは、つぎつぎに千変万化。

変容力だろう。

そして、エンドレスな変容(エンドレスな編集)を可能にするヴィジョンの生成。なんらかの分裂生成の発明を、なさなければならないだろう。

それを資本主義側からの視点で言い換えるならば、あくなき「選択」(セレクト)と「開発」(イノベート)ということになる。すでに「新しさ」というコンセプトが実体的にも失効していたとしても、「新しさ」を生成するためには、ハゲタカのように襲撃し、ゾンビや吸血鬼のように「生き」つづけなければならない。

 

このようなアートワールドの流動性は、グローバルキャピタリズムの症候として現れていて、必然的にプレイヤーも変容しなければ、プレイヤーでいれなくなる。失効してしまうのだ。

ギャラリーは、呑気な古物商ではありえず、アーティストとの360度契約のスキルから、最低でもグローバルブランド戦略を身につけていなければならなくなった。もちろんアーティストの内部で生成変化する「価値」に対するディレクション能力無き者は、アートワールド不合格であることは言うまでもない。

またキュレーターこそは、もっと戦略的なスキルが求められるプレイヤーとなった。ますますそうなるだろう。さまざまな大型美術館は、経営的な視点からブロックバスター的なプログラムをやらざるをえないし、そうかと言ってエクスペリメンタルなプログラム開発が出来なければ、ミュージアムはあっと言う間にただのイベントスペース、多目的空間になってしまう。

 

旧来の分業だって?

いいわけ、無責任では逃げられない。

事態の流動性を超え、自身をシフトさせること。

 

このような分裂事態の直面にあたって、これを積極的に対応開拓できる者が生き残るだろう。 

 

そう考えた時に、今・ここ、つまりトーキョー(ジャパン)という場所は、どのような地点なのだろうか?

 

時折思いついたように、経済誌などがアートワールドについての特集を組む。しかしそれらは全て「事後的」な話でしかない。マーケティングというスキルや広告で物が売れるというスキルが、ほぼ失効してしまっている中で、どうすれば価値ある商品=アート作品を生めばよいのかという「事前」を語ることこそが必要なのだが。

 

今、90年代から今にいたる(いや未来に至るか)トーキョーの時空を振り返ることは、どのように可能なのか?

未来を生むために、どうやって過去を語ればよいのか。

 

村上隆奈良美智杉本博司草間彌生、オノヨーコ。それぞれがとりわけ90年代以降に、特筆に値するヴィジョンを創出し、見事に、グローバルにシフトしたアートワールドでサバイバルに成功した者として、高く評価されるべきだ。そのことに、誰も異論など無いだろう。

 

村上隆が主導した「スーパーフラット」は、日本の古来から美術、アニメーション、コンテンポラリーアートを貫く、特筆に値する時空観をまとめ上げたものとして、高く評価されるべきものだ。グローバルに通用する内在性の開発を、やってのけたと言って良い。発明だった。

 

奈良美智は別の回路で、絵画の新しい可能性を開いた。評論家・松井みどりは「マイクロポップ」ということばで「ゼロ年代」を牽引したが、奈良はそれを最も体現した作家だ。グローバル資本主義の強風の隙間で生成、レジストする想像力。それは、マンガ的に見えて、同時代的な世界性をもっている。

 

杉本博司の写真は、日本の神仏の持つ無や、独特の身体性、古美術の美意識を、深い地点でコンセプチュアルアートとの接続に成功させた。

 

草間彌生はオブジェ、アブストラクト、パフォーマンスなどをへて、かつて無い強度を帯びた「魂の絵画」にいたった。それは「アウトサイダー」や「女性アーティスト」というコトバを無意味にする普遍性に到達することができた稀有な「前衛アーティスト」だ。

 

オノヨーコもまた「前衛」であり続けている。ション・レノンとの共同作業。フルクサスとしての実験をへて、今もコンセプチュアルアートの、非物質的な側面を重視した作品を生み続ける。

 

今、彼ら/彼女らを、成功者と言うのは簡単だ。マーケットでの評価が高いと指摘しても、結果論でしかない。

彼/彼女らが皆、開発者、開拓者であったことを忘れてはならない。

そして、彼/彼女らも我々と共有のトーキョー・(アート)・ストーリーの中で生きてきたことも忘れてはならない。

時代の中で、彼/彼女は、どのように価値変換を果たすことができたのだろう?

 

もうすこし、丁寧に見てみたい。

彼/彼女らが、高い評価へシフトできたのは、90年代からゼロ年代のことである。

日本のコンテンポラリーアートの批評において、定式化されてきた言いまわしに、「ゼロ年代の想像力」というキーワードがあるが、その起点となっているのが、1995年。村上隆スーパーフラットの年である。

 

1995年は、トーキョー(日本)において2つのことを意味している。

1つは、オウム真理教というカルト教団がハルマゲドン(世界の終わり)を、自作自演してみせる形で引き起したテロ事件「地下鉄サリン」事件である。この事件では、12人の人間が命をおとし、教団員も数名の死刑が確定している。
2つ目は、阪神・淡路大震災である。これによって6,434名の命が奪われた事件である。ポジティブな面で特筆すべきは、この事件で「ボランティア」というオルタナティブな関係意識、参加意識を人々、企業に与えたことも大きい。


2つの「カタストロフ」。

これらは、世紀末という西欧文化の「終末」に先んじて起こった。よい意味でも、悪しき意味でも「来るべき世界」の予行演習となった。

そして2011年に「やって来た」のは、「終末」が一回性のものではなく、エンドレスなものであるということ。東日本大震災という津波原発メルトダウンという現実であった。

欧米世界が21世紀に入って、戦争とテロによって、リアルなカタストロフを体験することになるのに対して、別の現実受容を生み出している。それは、例えば、一種のカタストロフに対する諦めにも似た弛緩(常態)であり、現実と虚の倒錯ではないか。

 

リアルとメディアを通してのイメージが入り交じった倒錯。ヴァーチャル空間における物語が、現実以上に強度を持つ。トリビアルな事象が大きなテーマ(イデオロギーのような)より重視される。

ユートピアも出口もなく、嘘の時空で待たされるだけなのか。

 

現実感覚の変容は、アーバニティ都市性をどんどん、なしくずしに変えていく。

この変容は、中国社会で加速化している都市のニューモダニティ変容とは全く異なったものだ。

東京が滞びているスーパーポストモダニティは、ゼロ成長を偽装した、真のバブルである2020年のトーキョーオリンピックに向けて、突き進んでいくことになるだろう。


トーキョーは、2005年頃をピークに(六本木ヒルズが2005年、ミッドタウンが2007年の竣工である)都市の「新陳代謝」を低下させてきた。

戦後以来、東京が世界に対してアピールしてきた「怪物的変容力」はもはやトーキョーにはない。

オリンピックの競技場がザッハ・ハディッドでなくなり(彼女は急死してしまった)、エンブレムが偽装の象徴としてデザインの希望を踏みにじり、トーキョーの物語は進んでいく。

 

1995年からの約10年間のトーキョー・アート・ストーリーを思い出してみよう。奇妙なことに、近い過去ほど、思い出すのが、難しいものだ。

トーキョーは、世界が戦争とテロに影が広がっていくのに対し、なぜかユーフォリア多幸感すら帯びていた。トーキョーは、儚いにせよストーリーが生成される資本主義の浮島の1つだったのである。

日本の有力なコンテンポラリーアートギャラリー(小山登美夫ギャラリーなどG9と呼ばれる一群)は、アートマーケットのグローバル化によって生まれた、インターナショナルアートフェアに積極的に打って出た。世界と日本を高速で接続させ、村上隆奈良美智杉本博司草間彌生らが世界のアートマーケットで成功する。

G9のギャラリーが果たした役割は、はかりしれないものがある。

また、村上隆が成功を勝ち得たストラテジーも極めて有効だった。村上隆はその作品だけでなく、作家としての戦略性も、今後のアーティストのひな型の1つだ。

 

村上隆自身は、東京藝大の日本画のドクターを修了しながらも、その美術界の閉鎖性に失望。一方で、世界を席巻する力をもつアニメーション文化総体に注目し、キャラクターやモチーフ、描法を吸収。また単身NYにわたり、世界で最も沸騰するアートマーケットのゲームを体験的に知ることにより「勝ち組」への道を模索した。

さらに重要なのは、作品のもつ「内在的な力」「クオリティ」「イメージの強度」だけでなく、彼がコンテンポラリーアートの価値を創出するシステム、装置をも生み出そうとすることだ。

2006年には『芸術起業論』を、また新人を世界に送り出すべくGEISAIを2002年以降、自らの経費で運営。

ここでは、村上隆について詳細に語ることはしないが、特筆すべきは、彼がすぐれた作品をつくり得るばかりでなく、作品と作家をアートワールドにおいて「価値づけ」たり、プロデュースしたりすることに極めて自覚的、確信犯であるということだ。

 

変容化しつづけるアートワールドのフロントラインにいつづけるには、どうしなければならないのか。

ジェフ・クーンツやデミアン・ハーストらと並ぶアルケミーを習得し、トーキョーにおいて、「ゼロ年世代」で到達できたのは彼だけである。

2011年から2020年の「TEN年代」のディケイドは、東日本大震災からトーキョーオリンピックまでの時空である。

その、今・ここにおいてさらなる戦略の変容を、村上隆を始めとして、誰がどのように開発・発明しうるのか。

実に興味深い課題である。

 

さて、このような動きとは異なる位相で発生していた「マイクロポップ」に代表された動向についても書いておきたい。オルタナティブの立場から、別のアートを価値づけする動きであるからだ。

 

2007年に、美術評論家の松井みどりのキュレーションによって水戸芸術館現代美術センターで開催された展覧会「マイクロポップの時代──夏への扉」(島袋道浩、青木陵子落合多武野口里佳杉戸洋奈良美智、有馬かおる、タカノ綾、森千裕、泉太郎、國方真秀未大木裕之半田真規田中功起、K.K.の15名が参加)。

そして2009年に続編として、原美術館をかわきりに世界巡回されたのが、「ウィンター・ガーデン:日本現代美術におけるマイクロポップ的想像力の展開」(青木陵子千葉正也Chim↑Pom半田真規、Masanori Handa、泉太郎、工藤麻紀子國方真秀未落合多武佐伯洋江杉戸洋タカノ綾田中功起山本桂輔八木良太の14名が参加)による提起である。

松井は『マイクロポップ宣言』でこう語っていた。

 

マイクロポップとは、制度的な倫理や主要なイデオロギーに頼らずに、さまざまなところから集められた断片を統合して、独自の行き方の道筋や美学をつくり出す姿勢を意味している。それは、主要な文化に対して『マイナー』(周縁的)な位置にある人々の創造性である」

 

周縁的な位置にある人、アーティストの作品。それらは、コマーシャルな中心からは追いやられてはいるけれど、創造的なものを評価する。松井みどりによって組織された2つの展覧会は、今からすれば良きセンチメントとして思い出されるが、コンセプトはラディカルであった。

オルタナティブは、本来は、資本主義に「対抗」し、時には権力の及ばない別のコミュニティを再編・再生させるダイナミズムの側面を持つ。

当然のこと、アートにおいては、「反」「非」コマーシャリズムの立場をとることになる。

レジストの面を強く押し出したコンセプチュアルアートやパフォーマンス。観客参加型のアート、そしてインターラクティブであれ、敵対であれ、関係の再編を戦略とするアートの可能性も開ける。

 

マイクロポップ展は、コンセプトのラディカリズムと、相反する、注目すべきアートのショーケースに見えてしまうコマーシャリズムが、キュレーターの意図とは別に働いてしまっていて、その分裂的性格が、僕にはかえって面白かった。

じつにリーマンショック前の、ユーフォリアを体現した展覧会だった。

この展覧会が提起したことは、まだ終わっていないと思われる。

 

リーマンショックによるバブル崩壊は、経済のさらなる「したたかさ」を助長する結果となった。

オルタナティブな活動は、既存の体制を転覆させるどころか、体制を補強するものとして、選別され、取り込まれた。

リーマン以降の、世界のアートフェアは、皮肉にもオルタナティブなフェアが解体され、アートバーゼルが世界にチェーン化したように、更なるグローバリズムにアップデートされたのである。

 

しかし、価値は差異を常に生み続けなければ、停滞する。反コマーシャルなものは、資本主義やブランディングには、必要なファクターになっているのだ。百貨店にせよ、ハイブランドにせよ、富裕層むけのホテルにせよ、もはやコンテンポラリーアートなくしては、差別化の戦略は成り立たない。

 

アーティストは、たとえどんなカタストロフな状況においても、既存の「価値形態」をやぶり続ける者でなければならない。

現在のように、すべての営為がグローバルマーケットの価値生成にとりこまれてしまうがゆえに、逆にアーティストたちが生み出す「異物」「不定形」「いまだ価値づけされていないもの」の生成は、実に重要な意味を持つ。

パラドックスこそが、最高の戦略なのだ。

 

今後、トーキョーアートのストーリーが、ヴィヴィッドであるためには、パラドックス、さらなる進化したアルケミーが必要だ。

 

キーワードは、「変換」である。

「変換」は、スタイルではない。

 

レディメイドをアートに変換した100年前のデュシャンが祖であり、発展させたウォーホルや大先輩のコンセプチュアルアーティストから学ばねばならないのだ。

 

しかし「ゼロ年世代」はすでに中年作家となり、時代は残酷に、否応無く進んで行く。ギャラリーもキュレーターもミューテーションし続けなくては、存在理由はない。

コンテンポラリーアートの老舗」なんて、若年寄過ぎるよね。

 

トーキョーの都市性の今。

そしてアートの今が、どんなフェイズに入ったのか。

 

エンドレスな「変換」。

 

資本主義の運動が、コンテンポラリーアートの差別力を必要としているがゆえに、トーキョーのアーティストたちは、さらなる変容力、さらなる変換力、さらなる分裂力を、発明しなければならないのである。