コンテンポラリーアート虎の巻

コンテンポラリーアート論

21インターリュード:ロバート・ライマンとの対話。アブストラクトの悦び。

前章でも少しだけ触れたけれど、ゲルハルト・リヒターは、1970年に始めてロバート・ライマンの白い絵を見て以来、強いシンパシーを感じていると告白している。

ライマンの白い絵は、シリーズやコンセプトというより、ライマンが白、なにもイリュージョンを呼び起こさない究極の状況が、しかし、実に豊かであり、終わりがないということの実感と獲得のプロセスとして提出されているのだ。

多くの知識人が、ジョルジュ・モランデイの小さな絵を好きなように、ライマンの絵を愛する人はどんどん増えていくだろう。

それは絵画形式のアブストラクトの可能性という話を超え、人間にとってのアブストラクトの快楽の必要からくるものだと思う。

 

ロバート・ライマンは、1930年に生まれた。

そして、最初に作品として展示できると、自分で思える絵を描いて以来、50年以上の月日が過ぎた。その間に何がおこり、そして今なお何がおこりつつあるのか。

ナッシュビルからニューヨークへ。

サックス・プレイヤーへの夢と断念。

盲目のピアニスト、レニー・トリスターノの教え。新進美術評論家ルーシー・リパードとの結婚と離婚。

アンディ・ウォーホルポップアートの隆盛と抽象表現主義の衰退。

 

彼は長らくMoMAニューヨーク近代美術館の監視員としての仕事につきながら、絵を描き続けた。

コンラート・フィッシャーやハイナー.フリードヒリらドイツのディーラーたちからの評価と支援。

白の絵具とキャンバスだけでなく鉄やハトロン紙やアルミニウムなど多様なマテリアルの「支持体」をベースに使った作風にたどりつく。その作業が今も続く。

ゴーキー、ポロックやロスコ(あるいはニューマンも)、彼に先行するアブストラクトに向かった者たちの多くが、精神を病んだりしたにもかかわらず、彼はなぜ大きなスランプもなく、「白い絵」をつくり続けてこれたのか。

 

美術評論家たちは、ライマンを「ミニマリスト」だとか「モダニズムの巨匠」と呼ぶ。

しかし、そんな世間の評価とは別に、彼の「白い絵」が作られ続けてきた。

マテリアルの上の白。それは何の対象の再現を目指すこともなく、ただ白なのだが、見ているうちに、その多様さ、豊かさに引き込まれる。

10年以上も前だが、ニューヨークのDIA BECONにある充実したコレクションを見た夏の体験は忘れられない。

 

「今日は。絵の歓びについて話しましょう」と、インタビューで切り出したら、「ああ、よかった、ほっとしました。また白い絵の“意味”について質問されるのかと思いましたよ」とライマンは笑った。いつもその話になって、彼は困ってしまう。


「作品を見るという体験は一人のものです。それはもう奇跡といっていいくらいスペシャルな経験だと思います。どのように描かれているか、どんな構造か、どんな支持体か、ぱっと見ではわかりません。もちろんそれらを調べることはできても、それがどのように起きたかを知ることはできないのです。私は自分で創っているので、どんな道具、どのような工程で創ったかという事実は知っているのですが、“どのようになるか”というのはまったく予想できなくて、毎回、どのように終わるか、できたものに驚かされる。毎回がユニークな体験なんです」


ライマンは、ある時からさまざまな支持体を使うようになった。そして、かならずプロトタイプを用意し、「見る―創る」の「課題」に気づいてゆく。見たことのないピクチャーへ彼を向かわせ続けるもの、それは何だろう?


「もしも、描いているものが、知っているイメージやシンボル、物語でないなら、“何をするか”ということ自体が“何を描いているのか”ということになります。大概の人は、そこにイリュージョンを加えたりしてしまうわけだけれど、私はそうでないので、違うことができます。表面をどうする、なぜその表面に描くか、どんな色を使うか、そういった“何を創っているか”ということ自体が問題になるというわけです。実にそれは複雑で、いろんな可能性が開けてくる。よくわかっているイメージではなくて、それを描かないことで、新しい世界が開けていくのです」


彼は、作品自体がどんな壁、光の状態、空間にあるのか。それによって作品が違って見えるということにこわだって説明を続けた。そして言った。「そうすると、構造自体がイメージになるのです」と。


1965年のある日、さまざまな絵画表現を学んでいた彼は、「もう自分は学ぶ者ではない」と思い、自らのアプローチに向かう。

 

「なぜなのかはよくわかりませんし、それによって作品をつくることが用意になったということでもない。ただ、制作していて間違ったと思っても、それはそれで仕方がないと思えるようになったんです。何が起こったということではないのです。でも、しょうがないや、とにかく続けようという気になったのです」


朝10時頃から5時まで、彼はスタジオにいる。でも、実際描く時間は、きわめて短い。


「今、新しい何点かの作品に取り組もうとしています。以前は白の作品ばかりつくっていたんですが、ちょっと違います。99年のもので、作品を中断して覆ってあったんですが、来年それを全部開いてみて、そこに何があったのか確認し、制作しようと思っています。なぜその時わからなくなったのか、気持ちが失われてしまったのか。探して、完成させたいのです。なぜか、それを開いて見てみるべきだという気がしたんです」


彼はゆっくりとしている。そして気づこうとしている、探すのでも、待つのでもなく。未知のものへ向かうことは不安定な旅だが、彼はつかんでゆく。ふと、もうサックスは吹かないんですか?と訊きたくなった。


「もうやめてしまった(笑)。好きな曲?(しばらく考えて)、何だろうな……。即興でプレイした時、どうなるかということがわからないと同じように、私の作品もでき上がってっみないとわからない。一方は目に見えない、もう一方は見える。でも共通するピュアネスがあるんです」

 

彼はよく答え、よく笑う。

帰りぎわに

 

「もしかしたら、絵について私はまだ知らないんだろう。しなければいけないことをやってきた。雪だるまをつくるみたいにね」

 

と答えた。

僕がそれを、受けて

 

「スノーボール・イズ・ホワイト」

 

と返すと、ふっふっふと、さも楽しそうに笑った。