コンテンポラリーアート虎の巻

コンテンポラリーアート論

11「メタ自由」へのラディカルなみち

「いまさら」なアートと、「いまさらでない」アートの違いはなんだろう。2013年、ベニスのプラダ・ファンデイションのパラッツォの中を歩きながら、そんなことばかりが、アタマの中をぐるぐるしていた。その展覧会は「態度が形になるとき:ベルン1969/ベニス2013」。ハラルド・ゼーマンが約50年前の1969年に、スイスのクンストハレ・ベルンでキュレーションした重要な展覧会「あなたの頭の中に生きる:態度が形になるとき(作品―概念―過程―状況―情報)」の、「再演」ともいうべき展覧会。

トニー・ゴドフリーがその著『コンセプチュアル・アート』で書いているが、アートそのものも変化したが、「展覧会制作の仕事もアートの一形態だと考えられるようになり、創造的にアーティストと関わる役割へと変化」させた重要な展覧会である。

 

彼は69年の2つの革新的なキュレーションをあげている。1つが上記したゼーマンのもの。

もう1つが、アメリカでのコンセプチュアル・アートの発祥の展覧会と言われるセス・シーゲローブの「1969年1月5ー31日」展だ(彼の変幻自在な、まさにパイオニアというべき活動については、ハンス・ウルリッヒ・オブリストの秀逸なキュレーターインタビュー本『キュレーション』での、シーゲローブへのインタビューを読んでもらいたい)。

先にセスについて書いておくと、彼は早くから、美術館やギャラリーでの展示が制度化され絶対化されることの問題を見抜き、68年に『ゼロックスブック・プロジェクト』という「本形式」のみのキュレーションを展開しており、カール・アンドレ、ダグラス・ヒューブラー、ソル・ルウィット、ロバート・モリス、ジョセフ・コスース、ローレンス・ウェイナー、ロバート・バリーら7名の「コンセプチュアル・アーティスト」をセレクションしていた。彼がリアルスペースでキュレーションした「1969年」展も、ほぼこの参加アーティストがかぶっている(エイドリアン・パイパーが加わっている)。

 

さて肝心の、一方のゼーマンの「態度が形になるとき」の方にもどると、69名のアーティストが選抜されている。注目すべきは、ほぼ全てのシーゲローブとの人選はかぶっていて、そこにヨゼフ・ボイス、ウォルター・デ・マリア、ヤン・ディベッツ、マリオ・メルツ、ブルース・ナウマン、クレス・オルデンバーグ、ミケランジェロ・ピストレット、ロバート・ライマン、リチャード・セラ、ロバート・スミッソン、リチャード・タトルなど、50年後の今からしても、実に的確な人選だ。

と同時に、単なる「作品」を展示するのではなく、また解体とカオスをそのままぶちまけるのでもなく、作品の生成と鑑賞に共有される全体性、つまり、Works – Concepts – Processes – Situations – Informationを明確にキュレーションの指標として打ち出したところが、全く新しい。

コトバとモノへの「疑念と問い」の形式は、各アーティストにおいてバラバラであり、過去のアートムーブメントのように捏造的にまとめることなどできるわけはないし、意味もない。それにアーティストは、局地戦あるのみである。しかしゼーマンは、分裂の様々を、そのまま生成させることをキュレーションしようとする。

ゼーマンはキュレーションにあたってカタログでこう書いている。

「本展覧会に出ているアーティストたちはオブジェ制作者とはまったく言えない。反対に、オブジェからの自由を希求し、それによって、オブジェの意味次元を深化させ、オブジェを超えた次元にある意味を明らかにしようとしている。アートの過程そのものが見える状態を維持することを望んでいる」

 

このように、キュレーション行為そのものが、アートを生成する行為と同じ態度になったのも、おそらく展覧会史上初めてのことだろう。

 

2013年の「態度が形になるときベルン1969/ベニス2013」を見て、考えてみよう。

2013年版は、ジェルマーノ・チェラント(彼は1967年にイタリアのアルテ・ポーヴェラのキュレーションを行なった)の尽力のもと、なんと建築家のレム・コールハースとコンテンポラリーフォトアーティストであるトマス・デマンドがかかわっている点が重要だ。つまり、これは単なる巡回展的な再演を意図したものではない。ベニスのパラッツォに、「強制的に」、ベルンの空間が挿入される。パラッツォの空間を無視して壁が立てられる(唐突にコメントしておくなら、まるでス・ドホ Do Ho Suhのアイデアみたいだ)。まさに強制的タイムワープである。そして続いてトマス・デマンドの出番。

 

50年たって、「作品」はコンセプチュアル・アートの宿命を物語る。あるものは美術館、あるものはコレクターに。コンセプトのヌケガラとして廃棄さるたり行方不明なものもあれば、高価に売買されているものもある。主要作品を探し出して揃えたチェラントの手腕はさすがであるが、にしても「不在」は出る。おそらくはデマンドのアイデアであろうが、不在の作品があった場所には、死体が横たわっていた場所を思わせるように、点線でマーキングされているのだ。

そして、記録映像や記録写真も充実している。

実に周到な、再演にあたってのキュレーションである。マイケル・ハイザーが解体用の鉄球で、美術館近くの歩道の一部を破壊している行為は、今だにショッキングだった。

この展覧会のせいで、結果的にゼーマンはベルンのキュレーターをクビになる。容赦ないラディカリズムの、当然の帰結である。

 

さて、この章の冒頭で、なにが「いまさら」で、なにが「いまさら」でないか?という問いをだした。再演展を見た時に50年たって、なにが賞味期限切れかという問いである。

アートワールドは、厳しい掟がある。たとえば、ポロックのアクション・ペインティングを美大生が「再演」しても、ラウシェンバーグがデ・クーニングのドローイングを何週間もかけて消しゴムで消して「ゼロ」にしてみせた行為を「再演」しても、誰も褒めないということだ。コンセプチュアル・アートは、「引用」や「盗用」という「操作」手法を生み出したが、よほどの頭脳プレイに長けていなければ、成功しないのである。

 

さて、どうするか。

コンセプチュアル・アートというとconceptsだけ、概念やアイデア、そしてコトバだけを問題にしすぎると思う。それに頭脳プレイとコトバを一緒のものと限定しすぎる危険性がある。ゴドフリーの本も、よく調べられた労作だが、この時期に、いかにコンセプチュアル・アーティストたちが「本家あらそい」「定義合戦」ばかりしているのかと、あきれて、うんざりしてしまうだろう。

1967年にソル・ルウィットは「コンセプチュアル・アートにおいては、観念あるいは概念がもっとも重要な側面だ。作家がアートの概念的なかたちを扱う場合、すべてのプラン作りや決定はあらかじめなし終えており、実行はおざなりの行為に過ぎないということだ」。

それに対してジュゼフ・コスースは1969年に「コンセプチュアル・アートのもっとも「純粋」な定義は、これまでの経緯で現在「アート」がもつにいたった意味、その概念の基盤の探求ということではないだろうか」

また、批評家でキュレーターのルーシー・リパードは何度も「定義」の試行錯誤を繰り返したのちに、「わたしにとってコンセプチュアル・アートとは、観念が最重要であり、物質面は二義的。そして軽量で一過性。廉価で、気取りがない作品のことである。それは非物質的である場合も、そうでない場合もある」

まずもって、これらのコトバを使ってコンセプチュアル・アートを「定義」しようとする作業からうける感想は、「不可能性」の隘路であり「不毛」ではないだろうか。まず、このこと自体が「いまさら」な感じを強く感じる。

コスースは、根源的という意味においては極めてラディカルという姿勢を維持し続けた。1965年に作られた有名な作品「1つと3つの椅子」は、椅子の写真、現物の椅子、辞書からとった椅子の定義の3つからなる有名なインスタレーションだ。これ自体は、その当時見ても「退屈」な作品であり、その良さがあった。しかし、もうその問いは歴史性としては意味があるかもしれないが、もはや作品としては失効しているようにおもわれる。もちろんコスースは確信犯的なアーティストであり、もう「ここ」にはいない。彼は、その後に、美術館の所蔵品全体をキュレーションしなおす、つまり美術館を批評的に再編するという「作品」をつくったことがあるが、まさにゼーマンとは違う「解」の出し方に成功したアーティストなのだ(ちなみに1995年に『批評空間別冊 モダニズムのハードコア』において、浅田彰により行われた、コスースへのインタビューは実に素晴らしくスリリングなものだ。「1つと3つの椅子」に、コスースはサインしておらず、この作品は、所有されることも販売されることも用意周到に拒否されつづけることで、この「退屈」な作品が特別な価値となる戦略がよくわかる。古本で見つけて、ぜひよむことを勧めたい一冊だ)。

一方ルウィットは最初に定義には加わったものの、彼もすでにそこにはいない。彼が使うコトバはinstruction指示書としてであり、彼の有名な「壁画」は、彼ではない「別の誰か」が集団で描く。コスースなどは揶揄するが、ルウィットの作品は「退屈」ではなく、十分に「美しい」。

このように、1960年代後半の「ゼロ」は、その時代の問題(ベトナム戦争や体制化してしまった美術館システムやマーケット中心主義。そして物質としてのアートへの崇拝)への、強力なアンチテーゼとして発生したが、さらに重要なことは、「ゼロのあと」何をしたかであろう。コンセプチュアル・アートとは何か?を問おうとする事ではなく、第2の「ゼロ」から始めたアーティストが、どうなったのか?という視点のほうがより有効だということを忘れてはならない。コスースやルウィットやローレンス・ウェイナーは、したたかに、バラバラに、それぞれが、ある「豊かさ」にたどり着いているように思われる。

 

河原温は、何十年にもわたって、日付を描き続け、それを特製の箱に入れる作品「デイペインティング」を作りつづけた。その行為は「退屈」であり、「日常的」であるが「豊か」だった。

彼は死んでしまったが、彼が「発明した」デイペインティングという「コンセプト」は、誰かがその権利を、買い取ったのだろうか?

コンピュータとネットの時代は、創発的な価値の時代を作る。その視点から、50年前のコンセプチュアル・アートが再考、再編され活用されるようになるにちがいない。

たとえば、オノ・ヨーコがギャラリーの天井に小さく書いたYESの三文字は、ジョン・レノンを感動、解放し、これによって2人は結婚したわけだが、このようなコトバと物質化の「開発」の有効性を誰かが、発展させるだろう。

あるいは、杉本博司が一定の時間の、水平線を一枚の写真にとじこめた「海景」のアイデアを、デジタルな操作により発展させるアーティストがいてもよいはずだ。今や「脳内」の画像情報も取り出せる時代に突入するのだから。

 

さっき不用意に「豊かさ」という単語を使った。

コンセプチュアル・アートは「定義」という隘路に入ったが、本質的には、「自由」を目指した。

人間の頭脳を超えるもの、それは世界の現前。世界が立ち現れているということだ。

「豊かさ」とは、そのことと関係する。

 

 また見つかった、
 何が、永遠が、
 海と溶け合う太陽が。

 

こううたったのは、詩人アルチュール・ランボーだった。これは、世界体験の詩だ。

豊かさの詩だ。

彼は自己を失ったが、融通無礙を手にいれたろう。

ランボーが詩というコトバによる思考を捨てた理由が、すでに、ここに印されている。

分裂生成を受け入れることの詩だ。

 

地図の存在を、教えられないまま生まれ育った子供がいたとしたら、それがアーティストなのだ。

 

さて、どこへ行く?

 

次回第12回は、「次元」とアートについて考えます。