コンテンポラリーアート虎の巻

コンテンポラリーアート論

10ゼロが新しい道を、再生成させてくれるということ

アートにとって、破壊とはなんだろう。個人的な経験として、一番破壊を感じたのは、津波の直後の石巻の街だった。風景の廃墟化にではない。全ての日常的な事物が、強力なミキサーの中に放り込まれたように、文字通り「粉砕」され、ヘドロ化したのを間近に見て戦慄を覚えた。コンクリートの電柱は握りつぶされたように丸まっていたし、重く硬いもの、軽くて柔軟なものも、全く差別なく粉々だった。文字を読み取れるものは一切無かった。津波の映像からは想像だにできない異様な力が、全ての細部を破壊していた。しかし、物質としての波は、無慈悲なまでに無邪気に暴れまくったにすぎず、人間の悲嘆やモラルなどを海に問うてもまったく意味はなく、ただただナンセンスが突きつけられていた。

 

破壊自体の無目的生を考えた時、アートにとって破壊そのものは似合わない。アートは時として、破壊を利用はするが、破壊を目的とはしない。

これはどういうことだろう。

例えば、「分裂生成」というコトバは、どうだろうか。グレゴリー・ベイトソンが言い出した言葉であり、それ自体は、文化人類学的なリサーチから彼が得た人間の精神のありようだ(追記しておくと、彼の研究成果として、「愛しているから殺すのだ」という「ダブルバインド」の精神モデルも重要である)。このコトバ自体は、統合失調症などを前提にしたコトバだし、このコトバでアートの本質を説明したいとも思わない。しかし、自己がコントロールできない破壊性、他者性や敵対の関係性を引き受けながら、表現を提出しようとするコンテンポラリーアートの流れ・動向を見ているときに、この「分裂生成」というコトバは魅力的だ。

前章で見たように、100年前の第1次世界大戦における機械兵器による無差別大量殺戮は、人間の精神に大きな切断をもたらし、アートもそれまでの歴史、思想、スタイルへのゼロ化に突き当たった。ダダは、そこから発生した止むに止まれぬ衝動だったと言ってよい。しかしダダの破壊行為が、「創造」のためのものだったと事後的に、あっさり説明する者がいるが、それは間違っている。正常が主で、異常は一時的なものと考えているからだ。

生成とはつねに、様々な様態の分裂として現れると考えるべきではないのか。アイデンティティなどという抑圧したものを設定するから、間違うのだ。

そう考えると、アートにおいて分裂は異常なことではないし、アートにおける破壊は、あたりまえに破壊を活用するメタな創造であり、同時にセラピーであり、オルタナティブな開発作業というべきなのである。

個人的な経験を再び書くと、僕は母親が統合失調症だったので、世の中では異常と思われていることが日常である青春をすごした。そのときに驚いたのは、人間の隠された能力である。彼女は夜中に幼少期に覚えた歌を夜通し歌うことがあったが、異常なほど正確だった。チャネルが開きすぎると人間は、壊れて異常者ということになる。幻視や幻聴もそうだ。インヴィジブルな車が家の中を走り回り、よく皇太子から電話がかかってくると彼女は言った。しかし僕にとって、それは常態であり、おかげで逆に、異常をよそおったり、狂気や集合無意識を表面的になぞったアート作品の欺瞞が見抜けるようになった。

今は、分裂はアートの友だと思っている。

 

そのような視点からもう一度ゼロの意味、ゼロの効能について考えてみたい。そして1960年代末にピークとなるコンセプチュアルアートの要点について考えたいのだ。

 

コトバとモノの分裂。

リテラルなアルガママの世界と、虚として構築されるフェノメナルな世界の分裂。

 

ダダから50年後にブレイクしたコンセプチュアルアートの「分裂生成」が、これから我々が生成するアートに大きなヒントを与えているというヴィジョンをもっている。ジョセフ・コスース、ドナルド・ジャッド、ソル・ルイットについて考えることになるだろう。

 

まず誤解を取り除くために、単純な「破壊」や「ゼロ」を装ったアートについて見てみたい。破壊は行為であって、残されたものはムザンなヌケガラにすぎないからだ。ポロックのアクション・ペインティング(1943)は、絵画を生成させるためのものでしかなく、破壊とは無関係だ。またキャンバスをナイフで切ったルーチョ・フォンタナの絵画(1947「空間概念・期待:Concetto spaziale・Attesa&Attese」)も同じく。また昨今、国際的な評価が高い具体美術協会嶋本昭三の穴(1950)や絵の具投げや、村上三郎の紙破り「通過」(1955)も、単に「破壊的にみえる」にすぎず、リーダーであった吉原治良の禅書の円相をパクった「円」(1955年ごろ)も、無の境地とは真逆の、評価されたいことのコンプレックスが生み出したムザンなものである。これらの一見「破壊的にみえて」じつは造形主義的でしかない作家たちに比べて、同時代のイヴ・クラインは1962年に34歳で夭折してしまったが、多くの注目すべきヒントを残した。彼は薔薇十字団に属し、独自のヴィジョンのもとに何もない展覧会『空虚』(1958)、『空虚への跳躍』(1960)、『人体測定』(1960)、『火の絵画』(1961年)など、破壊を偽装するのではなく、ある種の「錬金術」「再魔術」的な変換手法が開発されている。彼のIKB(インターナショナル・クライン・ブルー)を使った青一面の絵画は、アメリカのモノクロームペインティングやミニマリズムとは、まるで異なるメタペインティングの実践である。

 

これらのアーティストは、コンセプチュアルアートやハプニング、パフォーマンス、写真、インスタレーションの揺籃期の錯誤の作家たちだ。単なる思いつき的な初期衝動を反復するだけで終わった作家もいれば、クラインのように「ゼロ」以降の作品生成、「価値」の変成の領域に踏み込んだ者もいる。

 

さて、いよいよコンセプチュアルアートの初期において最も重要なアーティストについて語りたい。それは意外かもしれないが作曲家のジョン・ケージである。彼は1912年に生まれ、1992年に79才で死んだが、その生涯のストーリーは語り出すとキリがないほど魅力的だ。ロスに亡命していたシェーンベルグに教えをこうた日々、ピアノに木片など挟みオルタナティブな楽器に変えてしまうブリベアド・ピアノ曲の誕生など、アヴァンギャルドな格闘はまさに「分裂生成」と呼びたいほどの矛盾と生成の過程だった。キノコや自然の話も実に面白い。しかしここでクローズアップしたいのは、かれのニューヨーク時代だ。

彼は自分の現代音楽の教え子のインドギタ・サラバイから逆にインド音楽とその背景にある東洋思想を知り目覚めてゆく。彼は禅を発見し、そしてコロンビア大学に講義に来ていた鈴木大拙の講義にでる。ケージはこう言っている

「私は変わりつつある---成長しつつあるといってもいいが---と感じた。そして、それ以前の知識は子供の域をでていないとしみじみと感じた」と。

鈴木大拙はケージを「開いた」が、音楽については何も言わなかった。ケージはみずから考え音楽の役割とは、「われわれが生きている生活に目覚める」もの、「自然をその働きの本質において模倣」すべきだと気がつく。マース・カニンガムとの出会いへと続き、ともにブラック・マウンテン・カレッジで教えることとなる。サティ再考。そして同時に、転機にたっする。それは「チャンス・オペレーション」の選択だ。彼は破壊者だが、魅力的な分裂を生成する力があった。

ケージが書いた「プリペアードピアノと室内オーケストラのための協奏曲Concerto for Prepared Piano and Camber Ochestra1950/51」は、図面が演奏者に提示されていているだけで奏者は即興をしいられるものだった。聴衆、批評家、また前衛芸術家からも反感と冷笑でむかえられたが、ケージはなおも前にすすみ、「易の音楽Music of Chamges」にたどり着く。70年近くも前のこれらの曲は、しかし今聴いても実に刺激的だ。実験のヌケガラではない、生きた強度がクルのはなぜだろう。

ケージの「分裂生成の手順」は、絵の具を瓶に入れて放り投げれば「偶然絵画」がえられる、というものとは、極北の手間のかかるものだ。いまならコンピュータを使うかもしれない。音、継続時間、強弱、速さ、沈黙などを書き込むための26枚の図面。図面の中の記号は易経による偶然の方法で決定する。カルヴィン・トムキンスの取材によればケージがとった手順はこうだ。

 

1つの記号を書きこむためにケージは3枚の硬貨を投げて、その結果を紙に注意深く記録。図面上の、ある位置と対応する番号を導き出す。しかしこれで決まるのは、音の高さだけで、継続時間、音色、その他の特徴を決めるために、ケージはその同じ手順を繰り返す。作品は43分あり、ケージが硬貨を投げる回数は天文学的な数となり、彼は9ヶ月かけてそれをやった。一章完成するごとに演奏のパートナーともいうべきディビッド・チュードアに渡した。

 

ほとんど無意味と等しい「変換」によって作品が生成されている。重要なのはケージが手順を開発していることだ。その後、彼は透明なプラスティック・スライドを使ったグラフィック・スコアも作り出した。

単なる破壊ではなく、いかに破壊しながら別の何ものかを生成させること。

アナーキーな無秩序礼賛ではなく、別の自由を生み出すこと。

それがネガティヴではないゼロ点のありようだ。

 

ケージはそのモデルを見事につとめ、ブラック・マウンテン・カレッジのゼミ生(多い時でも8人以上になることはなかったらしい)からは、ハプニングを始めたアラン・カプローやナムジュンパイクがでた。またフルクサスに参加するものも多数いた。

つまり、時間や参加や関係を問う雛形モデルの、始点となったということが重要なのだ。現時点、つまり関係性や、参加の問題を考える時に、ケージがとった思考は、極めて役立つだろう。

 

ここまてま書いてまたしてもコンセプチュアル・アートまでたどりつけなかったので次回も引続き。

 

ジョン・ケージのコトバでしめておきたい。

「ほんとうに深く考えてみたいのは放牛図における最後の図だ。これは言葉のかわりに挿し絵をもって教える禅の基本だが、ご存知のように放牛図には二種類ある。一つはからっぽの円---無---つまりデュシャンの例である。もう一つでは、最後の図は大きな肥った男が満面の微笑みをたたえつつみやげをもって村へ帰るところだ。彼は将来の目的をもたずにかえってきたが、ともかく帰ってきたのである。その思想はつまり、無へ到達したのち、人は再び活動へ戻るということである」

 

では次回11回をお楽しみに!