コンテンポラリーアート虎の巻

コンテンポラリーアート論

7続・アートの「価値」はどのようにして生まれれるか?その2

2つの世界の衝突がある。作品の「価値」を有り無しを判定する世界と、「価値」を生み出そうとする世界の、複雑な衝突だ。それは愛憎と、ビジネスの駆け引きと、理解と誤解が混じり合った衝突である。ある者はアートは無駄なモノだと排斥し、また別の者はアーティストたちがアイロニーたっぷりに作った「反価値」なオブジェさえ、非常識とも思える高値で購入する。

世界のアートコレクターたちの中心は、オーナー社長やカタールのような王国だ。彼らのアートにおける「価値」判断は、常識的な経済を超えて動く。

僕はよく、コンテンポラリーアートの金の卵である若手アーティストと「組みたい」と相談してくる企業や広告代理店の方にこう言う。とりわけ日本のようなサラリーマン社会では、オーナー中心に動くアートワールドの常識に比べて、アートは甘く見られがちだからだ。

 

コンテンポラリーアートという、今生まれてきたアートは太陽なんです。離れていると暖かいけれど、接近すると失明するし、核融合の熱で焼け死んでしまいますよ。まず、そのことをお分かりでしょうか?」と。

 

アートは社会の中で力を増している。言い方を変えれば「価値」あるものだと思われているのだ。

商品やブランドのヴァリューをアップする上で、デザイン以上に、アートの神通力が使えると思って接近してくる。それは決して悪いことではない。僕は古いアートの価値を保守しようという者ではなく、「来るべきアート」の開発者の一員でありたいと願っている者だ。アーティストが資本主義に消費されず、そして資本主義も新たなアートフォームの創出の共同者になるにはどのようなソリューションをしなければならないのか。そのように考え活動している。

アーティストのモデルは、デュシャン/ウォーホルで一度刷新されている。僕らがプレイしているアートワールドはフェイズ2の世界だからアートを「価値付け」する仕組みもゴッホセザンヌの時とは全然違っている。おまけにアートの「価値」の生態系の仕組みもまるでちがう。

だからこそここでは問題にしたいのは、1:「価値」をめぐる生態系がどのようにうみだされていくのか。そして、2:「価値」あるものをどうやって生み出せばよいか、ということにつきるだろう。

 

たった今は、アートの「価値」を決めているのは、ギャラリーシステム、オークションシステムだ(変動期をむかえようとしているが)。そして批評家、キュレイター、コレクターたちだ。前章でのべたように、「批評性」と「市場性」を両輪にアートの「価値」は流動的に動いている。しかしそれは、決して普通の意味でのロジックでは動いていないし、1つのセオリーが「価値」を判定できない。

最近よく、広告代理店の人々が、「アートビジネスの可能性」を説くが、ほとんどがトンチンカンだ。人の欲望は不可解で、「どうしても欲しい」というコレクターのパッションによって、事前予想の10倍もの値段でオークションで作品が競り落とされることがある。問題なのは、その値段が、オークションブックに書きこまれ、その後、その作家の値段の指標となっていくことだ。おまけにオークションにおける作品価格の上昇は、オークショニアの腕に委ねられていて、タクシーのメーターやホテルの客室価格のように機械的に上がっていくわけではなく、理由なきジャンプがある。確かにアート作品は、バンバン売れはしないが、1人の人間が理由はさておき、バスキアのペインティングに200億円以上支払うことの意味を、単純な経済やアート愛好で解こうとしてもダメだし、なぜバスキアなのかに踏み込めない。広告代理店的分析は、たいてい事後的にすぎず、まったく事態を甘くみている。

 

課題の1だけを解いても意味はない。

金の卵を産むニワトリがいかに生まれ、改良、進化をとげてきたかという2が問題だからだ。

これを解くのはますます複雑になっている。

 

1についての限定的に有効なモデルをあげよう。限定的というのは、もはや「絵画」がコンテンポラリーアートにおいて主役でないからだ。

そして2017年の現在においては、アートワールドもグローバル資本主義化してしまい、もはや1つの都市だけでアートの生態系を考えることが失効しつつあるかもしれないからだ。

 

とはいえ、1940年から1970年のニューヨークの生態系は、今振り返っても、実に魅力的な事例だ。

第二次世界大戦による歴史の切断。シュルレアリストたちは戦火を避けてアメリカに亡命。ヨーロッパの重要なコレクションもアメリカに買われる。現代美術後進国のアメリカがイニシアチブを握るチャンスが到来する。

抽象表現主義(ニューヨーク・スクールとも呼ばれる)やネオダダ、ポップアートまでの30年を短いと見るか長いと見るか。1900年代生まれのデ・クーニングやニューマン、ロスコと、ステラ、ジョーンズ、ラウシェンバーグやウォーホルらとは20歳以上の年齢差があったけれど、それらが多層なレイヤーと相互作用、化学反応、起こしながら次々に「作品」を作っていったのが、とても重要だ。そのつど位置を議論する批評は重要だが、反応と増殖の速さがそれを上回り、もっといえは、そうやって総がかりで生成したものは、メイド・イン・ニューヨークのアートともいうべきもの。全くヨーロッパと別の所への到達した(とわいえ当時のアート先進国ヨーロッパが認知して初めて国際的な「価値」として認められたわけだが)。

 

ニューヨーク・モデルは、重要なプレイヤーたちが不可欠であることを教える。

「彼ら」がなければ、2017年今日におけるデ・クーニングの3億ドルを越す最高値もないにちがいない(そしておそらく、ペインティングではなく、「メタペインティング」というべきアンディ・ウォーホルジャスパー・ジョーンズの作品が史上最高値になる日も遠くないだろう)。

当時の重要なプレイヤーとは、批評家のクレメンス・グリンバーグ、ギャリストのレオ・キャスティリ、キュレイターのヘンリー・ゲルツァラー、そしてフィリップ・ジョンソンらアートコレクターたち。おっと忘れてならないのはヨーロッパからきた教師たち、ハンス・ホフマンやブラック・マウンテン・カレッジ(1933開校--1957閉校)を指揮したジョゼフ・アルバースがいなければアーティストのレベルも数も充実しなかった。

「その頃は、アメリカの新しいアートを購入しようというコレクターは誰もいませんでした」とキャスティリは語る。キャスティリは、守銭奴的なドライなビジネスマンのように言われたりもするが、抽象表現主義を売り出したベティ・パーソンズシドニー・ジャニスら先行する画商たちに比べたら後発で、ある種の当時の「不可能性」の中でもがいていた1人だったろう。キャスティリがジョーンズの傑作「フラッグ」の脇にたち、壁にはロスコの大作を背にして自信に満ちた写真があるが、彼もまた「売れたことのないもの」を「売り物」に変えるノウハウの開発者だった。彼がいなければラリー・ガゴシアンも出現していないだろう(ちなみにガゴシアンがニューヨークに進出した時にコレクターのサーチを紹介したのはキャスティリ)。

前回あげたエミール・ディ・アントニオの映画『Painters Painting』でレオ・キャスティリはジョーンズの展覧会の話しをする。

「でも、現在のアメリカ美術の最大のコレクターはアメリカ人ではないのです。何人かのドイツ人、特にルートヴィッヒ博士ですね」

博士はジョーンズのフラッグを探していて、キャスティリのアパートの暖炉の上のフラッグを売れとせまる。博士は7万5000ドルという。ちなみに当時は1ドル365円で、日本の初任給は1万円の時代。キャスティリは、それは売り物ではないと断る。結局博士は、別のところで別のフラッグを10万ドルで買うのだが。キャスティリは映画に答えて、もうジャスパーのフラッグは10万ドルどころか20万ドル以上だとコメントする。まるで「売れなかった」ものに、ブレイクがやってきたのだ。

キャスティリがギャラリーを開いたのは1957年。前年の56年にポロックは自動車事故死。しかし、そこから事態はバブル的に展開する。58年ニューヨーク近代美術館MoMAは「新しいアメリカ絵画」展を組織し世界8カ国を巡回させ、そのよく年には「ニューヨークタイムス」がポロックのオークションの値上がり率が100%に達し優良株や先物取引を超えたと報道。悲劇は「価値」を増幅させる。

60年以降の重要なプレイヤーは、メトロポリタン美術館に入ったヘンリー・ゲルツァラーであり、彼は著書『20世紀のアメリカ絵画』を出版し、64年のベニスビエンナーレをしきるとともに、69年暮れに『ニューヨークの絵画と彫刻:1940--70』をキュレーションする。

ざっとこのようなプレイヤーのキャチアンドリリースの中でアーティストあるいは、作品の「価値」が「大化け」していった。

今は、生態環境の話ばかりしたけれど、本当は一方で、バウハウスの流れをくむアルバースがブラック・マウンテン・カレッジで教えたことや、亡命してきたピエト・モンドリアン。あるいはペギー・グッゲンハイムが自身が主宰していた画廊「今世紀の芸術」で行った、同じくオランダのデ・スティルのテオ・ファン・ドゥースブルフ。彼ら無くしては「ホット」な抽象表現主義も「クール」なハードエッジも生まれなかっただろう。これとグリンバーグの接続も再考したいところ。

アブストラクトの事は、別章でじっくり書くから乞うご期待。そこでやります。

 

この章のまとめとして最後に書いておきたいのだが、我々がニューヨーク・モデルから学ぶべきことは、「新しい価値」をいかに総がかりで生み出すかということだ。アーティストだけでなくプレイヤーがセットされないと、キュレーションやプロデューサーがいなければ「価値」は創価されない。

 

今は「前衛芸術運動」は冷戦時代の終焉とともに死語になってしまった。いまやもっと「創発」的な資本主義内のゲリラ戦である。

その現在の時点から過去を再編集して見るなら、シュルレアリスムにはブルトンというプロデューサーが、具体美術協会吉原治良というプロデューサーが、YBAはダミアン・ハーストとチャールズ・サーチがプロデューサーとして、おこした「価値」生成のための生態系だったとということだ。

アートプロデュースを学ぶというのは、いかに「コト」を引き起こし「価値」を生成できるかということになる。

もし野心的な広告代理店やIT企業があるなら、この生態系を総がかりでプロデュースする、ヴィジョンとストラテジーが必須だ。

しかし他方で、アートは宿命として、このようなシステムを食い破ったところから、呪われたモノとして生まれてくるのだという反論もあるだろう。

それはそれでアリだと思う。それもまた別の時に。

 

最後に余談。

先日オラファー・エリアソンの映画『視覚と知覚』を見た。この映画は2008年のMoMAでの彼の個展とタイミングをあわせてニューヨークで行われたビッグプロジェクト「ザ・ニューヨーク・シティウォーターフォールズ」をめぐるドキュメンタリーだ。

フライヤーの情報によれば、高さ36mから毎分13万リットルの水が流れ落ちる。制作費約17億円。経済効果75億円以上、140万人が目撃したとある。

 

このオラファーの作品の「価値」は、ペインティングをめぐるニューヨークのモデルとは、随分異なる価値生成であり、実に興味深いものだ。

必見だと思う。

 

次回第8回は、「続々編その3  お金で買えない価値とアートについて」を、アーティストサイドの問題として展開します。