コンテンポラリーアート虎の巻

コンテンポラリーアート論

5時空の混乱の中で、コンテンポラリーアートは成長する

 

「もう音楽っていうもの自体が、臨界値、限界に達したんだよね」そう細野さん(細野晴臣)は言った。

唐突かもしれないが、モダンという単線的で、つねに「新しいもの」を追い求めようという衝動がどこで変わったのかな、と考えるときに、この発言がいつも思い出されるのだ。

丁度YMOが1983年に「散開」し、細野さんは1984年に、nonstandardという新しいレーベルを始めていた。僕は縁あってレーベルのクリエィティブ・ディレクションをやらせてもらって、レーベル立ち上げのスペシャル・ブックつきアルバム「globuleグロビュール』(ADは奥村靭正、正式名称は『Making of NON-STANDARD MUSIC/Making of MONAD MUSIC』)や、細野さんが始めたFOEというユニットのジャケットなどを担当した。アートディレクションは、初期YMOやサザンをやっていた原耕一さんにたのみ、ジャケットの絵は、画家の大竹伸朗くんに頼んだ。大竹くんは丁度、チリのサンチアゴの大洪水をテーマにした大作油絵を描いていて、そのカタストロフ感、カオスがぴったりだと思ったのだ。

音楽を含むアートについての、「臨界値」「限界」というコトバを、はっきりと聞いたのは細野さんからが初めてだった。細野さんの音楽を僕は中学生の時に聴いて以来、ある種のグルになった。暗黒な宇宙の中で、行く手を指し示す光を放つ灯台のような存在だ。彼は音楽家であったが、類い稀なヴィジョナリーであり、その音楽、発想、行動は予見にみちたものだった。

YMOを散開し、新しいレーベルを始めた細野さんに対して周囲は、当然なように、またYMOのような「産業的なヒット」を過大に期待していたのだと思う。しかし、細野さんの側にいて、彼が全てが限界に達していると痛感しているのを僕はひしひし感じていた。彼がスランプとかではなく、資本主義の渦の中での、産業音楽の疲弊。しかし細野さんは、疲れのエネルギーの中で、何かを生み出そうとしていた。しかしそれはそれで面白く、なぜなら細野さんはネイティヴアメリカン知恵を我がものとしていたからである。「クワィアット」「トランキュリティ」「ライトタイム、ライトプレイス」。次々に予見にみちたアイデアが散り撒かれていた。

重要なのは、細野さんの直感は同時代的なものだということ。ブライアン・イーノが始めたアンビエント・ミュージックはマイケル・ナイマンが発展させていたが、そのミニマルでエンドレスな音楽ともクロスしていた(ちなみに僕が雑誌「エスクァイア」誌で初めて仕事をしたのは、細野さんとイーノの対談だった)。

「飽和(ゼロサム)」そして「反復」「リミックス」、、、それは音楽だけでなくアートにも影をおとしていて「シミュレーショニズム」」「アプロプリエーション(盗用)」などの手法が生み出されていた。

このような文化的な背景を批評家たちは、「記号消費」時代、「ポストモダン」社会とよんだが、実感としても80年代のどこかでそこに達したのだと思う。クロード・レヴィ=ストロース構造主義やジル・ドゥールーズやロラン・バルト現代思想の受容は少しタイムラグがあったが80年代の日本でも、「ニューアカデミズム」として旋風を引き起こし、浅田彰中沢新一らが見事に「今・ここ」を分析してみせた。

ちなみに僕が工作舎をやめてフリーになったのは1983年で、そのあと最初に編集者として手掛けたのが中沢新一の『チベットモーツァルト』。中沢さんは、工作舎の雑誌『遊』で「仏教する」という特集号を担当したときに『虹の階梯』という本で発見して、親しくなっていたからだ。工作舎グラフィックデザインは基本的に杉浦康平の図像のコスモロジーで出来上がっていて、そこから卒業したいということもあり、YMOのアートディレクターをやっていた奥村靫正さんにブックデザインをたのんだ。最先端思想とテクノとの掛け算。中沢×奥村の化学反応は魔力を生み、『チベットモーツァルト』はあれよあれよというまにベストセラー。浅田彰の『構造と力』と並ぶバイブルになった。

 

話は脱線してしまったが、時空の話にもどそう。

 

その中沢さんと細野さんに日本の聖地を巡礼の旅をしながら 「音楽と現代思想」を語りあうという企画を文庫本サイズの異色の文芸誌『小説王』で連載してもらった(『小説王』は、角川書店から出版され、編集のアニキである森永博志と僕の2人でつくっていた)。その旅の連載が単行本化されたのが『観光』だった(今も、ちくま文庫)。その時に実感していたことは、何かを極めるとか、新しいものを創造するということではなくて、「横断」だった。そして2人の旅の途中でよく語られたのは「フラクタル」だった。まだその当時は、だれもそんな話などしていない。山や海岸線のような世界の複雑な「襞(ひだ)」に分け入って、思考すること。時代は飽和して出口が見えなくなり、人々はゲームや、暫くするとネット世界に逃避するようになる。そんな時代変化のはしりだったのだと思う(ちなみに荒木経惟の写真のマンネリズムや、篠山紀信のシノラマの誕生も80年代の「出口ナシ」を象徴していると思う)。

 

この章で長々と、直接的にはコンテンポラリーアートと無関係にみえることを書いてきたのは、60年代末から70年代頭の騒乱以降、80年代のどこかで「近代」「モダン」というものが確実に失効して、「ポストモダニズムの世に突入したということの実感を伝えたかったからだ。そして80年代半ばからは、表層が爆発する「バブル」期がやってきて、全く時系列は分解しフラットに。大きな「差異」は喪失し「反復」に。イデオロギーや近代批評も失効しゲームに。オリジナルという幻想はとどめを刺されて死にサンプリングやリミックスを駆使する「DJ」の時代にシフトした。

機械的に均質な時間が流れているというクロニック(クロノス)な歴史観の終わり。歴史は国家や民族の産物であるというヘーゲル/マルクス的な「大文字の歴史」の終わり。古い「時間」は、「今・ここ」という瞬間、刹那に分解され、誰もが迷子になってしまう。しかし、それを一方で回収してくれるのが、永劫回帰的な時間であり、円環的な「暦」の時間なのだった。時間と場所が「同時に」誕生するという考えなしには、「パフォーマンス」や「ハプニング」というアートフォームの発生もなかったろう。

 

で、またまたいきなりかもしれないが、ここで思想家ヴァルター・ベンヤミンのことを書いておく必要があると思う。

60年代末から70年代初頭の騒乱以降、極めてよく読まれ、それ影響をもった本が彼の様々な著作だったからだ。ベンヤミン自身は、1940年にナチスから逃亡する最中に自殺してしまった。

彼の唯物論ユダヤ教から来たメシアニズムの色が濃く、終末や廃墟と救済が通低音として流れながら、その上にたって『複製技術時代の芸術作品』(アウラ論)『写真小史』(アッジェ論)『パサージュ論』(ボードレール論、シュルレアリスム論ふくむ)などを著した。彼の論は、どれもがアカデミックなものというより、フラグメンタル断片的であり、アフォリズム的であり、予見にみちていたことから、この「危機の時代」に蘇えり、「基本図書」となった。

彼の絶筆となった18のフラグメントからなる『歴史哲学テーゼ』は、まさに歴史観批判した新しい時間論だった。

彼は学者というより横断的な知識人、ジャーナリスティックなクリティックの先駆的モデルであったし、おまけにアートや食の快楽にも精通していた。彼がパウル・クレーの「天使」の絵を買い、いつも眺めながら暮らしていたのは有名なエピソードである。

よく知られている『歴史哲学テーゼ』の中の、ブリリアントなフレーズを引用しておきたい。

 

「新しい天使という題のクレーの絵がある。そこには一人の天使の姿 が描かれてあり、彼は自分が見つめているなにかから、今必死になっ て身を遠ざけようとしているかに見える。眼は大きく見開かれ、口は 開かれ、翼は広げられている.歴史の天使というのはこんな姿をして いるに違いない。天使は顔を過去に向けている。ぼくらならその目の 前に一連の出来事の連鎖が見えてくるところに、ただ彼は破局だけを 見る。破局は休むことなく廃墟の上に廃墟を積み上げて、それを彼の 足元に投げつける。おそらく天使はそこに留まって死者たちを蘇らせ、破壊されたものを寄せ集めて作り直したいと願うのだろうが、楽園より 吹き付ける風があまりに強いので、その風が翼にはらまれて、もう翼 をたたむことができない。その強風は天使を、それが背を向けている はずの未来へとどうしようもなく運んでいってしまう。一方、彼の眼 前には廃墟の山がうず高く積みあがり、天にも届こうかというほどで ある。ぼくらが進歩と呼ぶのは、まさにこの強風のことだ」 

 

資本主義の強風が様々なジャンクを吹き上げている。それはもう未開だったはずの地を覆い、深海にプラスティックを堆積させ、宇宙空間にはバラバラに破壊された宇宙船の破片が高速で飛び回っている。

それは、アートワールドも同じだ。

錯乱状態のなかでコンテンポラリーアートは、生成され成長する。そしてアートの本質(いやそんなものはとっくにない)とはまったく無関係に、イズムとは無関係に「トレンド」が発生するようになる。「流行」という名の作品であり、シーンだ。典型的な例が80年代のジュリアン・シュナーベルやバスキアらの「新表現主義ニューペインティング」だった(80年代にジェフ・クーンズもデビュー)。

 

彼らの作品は別に「ニュー」ではない、 不可能性を突破した作品でもない。第1章で僕が指摘した「ゾンビ・アート」に他ならない。彼らは別段、金を産むために作品をつくっていたわけではないかもしれないが、それらはバブルなアートマーケットに応じた「ニュートレンド」の「新商品」だった。

しかし、このような時空はユートピックでもある。もはやアートには、大きな「差異」を産む「才能」はいらない。如才ないコピーライターやデザイナーがアーティストを偽装できる。もう、アートに古いも新しいものない。単線的な時間は解体してスパイラルな時間になる。

そして流行は直ぐに回帰する。60年代末のリミックス、70年代のリミックス、、、。そうやって回帰しながら「前」にすすんでいくのだ。サヴァイヴしてゆくのだ。

このような時空についての戦略的な判断をもつことは、コンテンポラリーアートを産むうえで、避けて通れないことだと思う。

 

さて次章ではいよいよ、コンテンポラリーアートにおける「価値」がどのように生成するのか、ということについて考えたい。