コンテンポラリーアート虎の巻

コンテンポラリーアート論

4「メタ」と「マトリックス」の思考をめぐって

僕はアートの分野において、「終焉」などというネガティヴな考えを持ち合わせていない。虚無的な楽天主義者を自認している。「網膜的」美術に切断を食らわしたデュシャンも、崇拝しているわけでなく、カルヴィン・トムキンスが明らかにした快楽主義者としてのデュシャンを愛している(ちなみに僕が大学でデュシャンについての乱暴な卒論を書いた時は、アウトゥーロ・シュワルツ流の「錬金術的なデュシャン解釈」が盛んだった。トムキンスの本は残念にもまだなかった)。

西洋の批評家が「絵画は終わった」といっても、世界のどこからは奇跡的に「才能」が現れてくるだろう。昔、進化生物学者の泰斗スティーブン・J・グールドにインタビューした時に、「キリストもブッダも、ピラミッドもマヤも偉大な思想・文明は、紀元前につくられている。もはや人類はピークを超え衰退に向かっている種ではないのですか? くだりのエレベーターの中で天を見上げているような気分なのですが」と恐いもの知らずに質問したことがある。『ワンダフル・ライフ―バージェス頁岩と生物進化の物語 』においてカンブリア期の生物の爆発的な発生と淘汰を述べた戦闘的な「断続平行論」者は、こまったような顔をして、「私はそうは思わない。楽天主義なんだよ」とだけコメントした。

また、思い出すのはインドネシアジョクジャカルタの街の外れに、NPOの取材に行ったときのことだ。たまたま、知り合ったストリートチルドレンに靴磨きの少年がいた。かれは子供のにタバコをふかし、客がいないときは地べたに紙を敷いて絵を描いていた。たばこの箱や、チラシの裏や、なんでもかんでも。描けるものならなんでもよいのだ。殴り描きされた人の顔は、アントナン・アルトーベン・シャーンを思わせ、この子供が恐るべき才能を持っていることが見て取れた。

世界は我々が考えるより大きい。AIよ、驕るなかれだ。タバコ代をくれというので、金をやると絵と交換してくれた。数年後その街は、メラピ火山が大噴火し壊滅した。あの子供のような才能は、たしかに世界のどこかで日々誕生しているのだというロマンティックな考えが僕は好きだ。最悪は最善を生む。それが楽天主義ということだ。

 

僕は編集の仕事を拡張しながら、仕事をしてきたがそのコアにあるのは「才能好き」「才能フェチ」である。才能とは、その人が持つ可能性のことだ。それに気づき、形にすることに並走すること。才能は本人も私有できるものではない。時には、本人さえ気づかない力が世界を変えて行く。

僕は20年以上にわたり展覧会に関わり、16年間、美術大学で教鞭をとっている。新人発掘のためのアワードもキリンアートアワードを皮切りに、全国の美大から優秀な人材を発掘するaatmアートアワードトーキョー丸の内(今年で11年目)など、現在も沢山関わっている。だからエスタブリッシュした作家を批評するよりも、アカデミックな理屈を振り回すよりも、コーチィングが好きなのだ。ついでながら明言しておくと「評論家」などという肩書きで仕事をしたことは一度もない。言うだけ言って去って、何も現状を変えようとしない人が多くて、好きじゃない。曖昧だが、編集者という肩書きがいい。批評力がなかったら編集はできないわけだしね(インタビュー、取材、ライティングなども)。

2002年に京都造形芸大によばれて、古い「芸術学」の学科を改組してくれと依頼され、日本で初めての「アートプロデュース学科」にした時も、実践の伴わない「芸術学」など意味がないと考えたからだ。アーティストという才能と交わり、並走できる人材こそが求められている。学科長に就任したばかりの時に、旧学科で教鞭をとっていた美術館の学芸員あがりの老教授が僕に「学生に批評力をみにつけさせるんですか。美術史は歴史学で事実だけでよい。批評力はいらない」といったので、引退していただいた。まさしく旧弊である。

筋金入りのアカデミズムは、もちろんリスペクトしている。しかし、アーティストになるために、教師は何を教えられるのだろう。いや、アートなど教えられるのか?

ASPアートプロデュース学科」として再編するときにいくつかの世界の大学や組織を見学にまわった。1つはイタリアのベネトンがやっているスクールでありコミュニケーション・リサーチ・センターのファブリカFabricaであり、もう1つは、トマス・ルフが写真学科長をやっていた頃の、デュセルドルフのクンストアカデミーだ。新しいアーティストを生み出すためには、新しいメソッド、環境が必要だと思ったからだ。ファブリカは大学ではないが、スタジオ化した教育環境があり、また教育の成果を出版物や自社広告に反映させるアウトプットの回路をまなんだ。また、ルフのクンストアカデミーからは展示型授業やポートフォリオの重視を学んだ。

ASPの誕生に合わせて、京都の河原町、つまり街中に、自前のギャラリーであるARTZONEをたちあげた。最近でこそ様々な大学が学外にギャラリーを作るようになったが、当時はまだなかった。おまけに僕が学科長時代のARTZONEのロゴは、当時まだ京造の教授だったアーティストの束芋につくってもらった。彼女がデザインしたロゴなど後にも先にもこれだけだろう。ギャラリーではなくARTZONEという名前にしたのは、様々なことに学生が挑戦すべきと考えたからだ。作品展はもとより、クラブイベントをしてもよいわけだし、アートグッズを開発して期間限定のショップにしてもよい。だから一番最初の展覧会はたしかアフガニスタンの絨毯職人を支援するNPOであるMOGU VILLAGEと共同でアーティストたちに原画をつくってもらいコラボレーションするというものだった(その頃僕は、音楽家の坂本龍一、デザイナーの中島英樹、クリエイティブ・ディレクターである空里香とともにcodeというユニットを作っていて、坂本=中島共作の絨毯も出展した)。この絨毯を作るにあたりNPOのオーガナイズでgraf服部滋樹と一緒にカブールの絨毯攻防も訪問した。また別の展示では、五木田智央に数日間ギャラリーに滞在してもらい(本当にベッドも運び込んで!)制作ぜんぶを見せるというLiving room project。また壁から床から全部を使って行ったグラフィティー展など、普通のギャラリーでは絶対に出来ないことばかりのプログラムを行った。まさに初期のARTZONEのコンセプトは、ギャラリーを超えたスタジオ、ファクトリーの進化形だった。

 

空間をあたりまえのように使うこと、授業をあたりまえのように従来のやり方でやること。それでは全くだめなのだ。

 

コンテンポラリーアートについて調査研究するだけでなく、実践や展覧会をプロデュースするために「芸術編集センター」をたちあげ、シンポジウムのプログラム。学内選抜展をこえたアーティストたちの売り出しのための学外展「混沌から躍り出る星たち」を運営。アートバーゼルなど海外のアートフェアの調査。スーザン・ソンタグを追悼するシンポジウムやグラフィック・デザイナー石岡瑛子を招いてのポール・シュレイダー監督『MISHIMA』の特別上映会を開催。しかし、なんと言っても「芸術編集センター」の成果は、東京にギャラリーmagical artroomを開設したことだ。2006年1月六本木にオープンし、2008年7月には恵比寿に誕生したアートコンプレックスビルNADiff A/P/A/R/T(ナディッフ・アパート)の3階に移転し2009年末まで活動。秋山幸、大庭大介、大田黒衣美、ヒョンギョンなどの若手をいかにグローバルなアート文脈で売り出せるのか。従来のコマーシャルギャラリーをこえた活動に挑戦し、設立したばかりなのにもかかわらず、アートバーゼルのサテライトフェアLISTEやFRIEZEアートフェアにも出展し、周囲を驚かせた。

 

まだ書いておきたいことはあるが、ここではこれぐらいにして本論にもどろう。

 

僕がコンテンポラリーアートシーンを体験的に学んでわかったのは、常にその「内」(それも真ん中)にいながら、同時に「外」にいるような「思考法」が取れなければならないということだった。

 

それを端的なにいえば「メタ思考」といえるだろう。「メタ」とは辞書的な意味でいえば「超」ということだ。メタ(meta-)を、検索してみると「高次な-」「超-」「-間の」「-を含んだ」「-の後ろの」等の意味の接頭語と出てくる。ありていにいえば、ロジックを、より高次の視点からロジカルに捉えるものがメタロジーである。もっとわかりやすく言えば、「アートについてのアート」「写真の写真」「デザインをデザインすること」「編集の編集」と言ってよい。これが、まずは「アートの思考法」の基本だと思う。「絵画の絵画」というメタ思考のツボがわからなければ、絵画をやる意味はない。デュシャンの亡霊に取り憑かれて、おしまいだろう。

 

それから僕が、長年の授業の工夫のなかで編み出した「マトリックス思考法」についても述べておきたい。「頭脳プレイ」「コンセプチャル・アート」といえば、まず「アイデア」ありき、「コンテクスト文脈」ありきと皆んな誤解するが、アートはリニアな論理展開だけでは、創れない。論理をふまえつつも、そこを超えて「メタ」なポジションに立たないと、特別な力を獲得できないのだ。リニアな展開をこえる「化学反応」「ワープ」「ミューテーション」が引き起こせるかがキモなのだ。

僕は授業の時に、2種類のマトリックス表を使って、授業に臨んでいる。「マトリックス」とは、母型や基盤を意味する言葉だが、そこから何かが生み出る子宮、変換するための表である。

僕が授業で使いながら年々修正していったマトリックスを僕はこんなふうに使っていた。

第1のマトリックスは、わりかしリニアな「表」だ。

縦に「A思考」「Bつくる」「C見る」「D見せる/買う」と入って、横に様々な項目が並んでいる。授業では、例えばAの3について授業の前半に喋ったとしたら、後半では、話の流れでCやDや、その中からその場で判断してアドリブで話をする。論理は全くワープする。不連続の連続。

しかし、このようにすることで、授業は予定調和的なものではなくなり、教える方も学ぶ方も実に刺激的になるのである。

マトリックスの表は2次元に見えるが、やっていて思うのば、実に多次元的であるということ、そして決して「思いつき」「場当たり」でないということだ。

そしてこのような発想を生徒と共有したいと思い考え出したのが第2のマトリックスだ。

これは、アーティストたちが自分の発想、制作を展開する時のチェック表にもできるだろう。

再度言うが、コンテンポラリーアートには「マグレ」などない。そのために、歴史をルールブックにするだけではダメだ。自発的に、アタマを動かすためのマトリックスが有効になると思う。

 

この章の最後に言っておきたいが、広告ではプレゼンでパワーポイントをよく使うが、アーティストはやめたほうがいい。なぜなら、全くやるべきことがちがうからだ。

なにもないところから、突飛に思えるところから、まるで異質なものを生成する。

お手本とすべきは、ヨゼフ・ボイスの「黒板」、そしてルドルフ・シュタイナーの「黒板」。

同世代だとtomatoのジョン・ワーウィッカーかな。

これこそが、マトリックスの先輩だと思う。

僕も、それをヒントにその場で自発する力を、日々きたえているのだ。

 

さて、次は歴史についての新しい哲学。ベンヤミンから始めます。

 

 マトリックス1

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 マトリックス2

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