コンテンポラリーアート虎の巻

コンテンポラリーアート論

18見ることと、絵画の間で起こっていること。マルレーネ・デュマスとの対話

ある時、マルレーネ・デュマスの個展をギャラリーでみた。

横たわる男たち。壁にかけられた、いくつもの小さな水彩画。それを見て、なぜこれらが「死んでしまった者たちを」描いたものだとわかるのだろうかと、僕は自分に問うていた。「死んだ者たち」の傍に、マルレーネ自身が描いた詩のようなコトバが添えられている。

 

THE FOG OF WAR
Then 9 heard that someone said:
"We shall die in these bodies. This is one thing certain of your place of death, you are there now, you sit with in your corpse, look no faster, there whem you are you will die."


戦雲
そして私は、誰かがこう言うのを聞いた。
「われわれは、これらの肉体の中で死ぬのだ。
これがお前たちの死に場所について言える唯一確かなこと。
今もお前たちはそこにいる。
みずからの死体の中にうずくまり、急ぐこともなく、そこで時が来るのを待ち、そして死ぬのだ」

 

マルレーネ・デュマス南アフリカに生まれた。そしてオランダのアムステルダムに住む。彼女の絵のことをいつ見たのだろうか、そして知ったのだろうか。

記憶は定かではない。彼女があらわれた時、「絵」という領域自体がコンテンポラリー・アートの中で、もう終わってしまったものとして扱われていた印象がある。たった一枚の絵が世界に対して何ができるのかといわんばかりに、美術評論家たちは冷ややかな対応をしていた。
しかし、彼女の絵を見たとたん、僕は一目でやられてしまった。小さな、あるいは大きな紙に描かれた顔、赤ん坊、裸体。それらは、ある意味とてもオーソドックスな様式だったが、僕の中に複雑で強い印象を、はっきりと浮かび上がらせた。僕はすっかりとりこになってしまったのだ。
それ以来、僕はことあるごとにマルレーネの絵を見てきた。

 

ある年、ベネチアビエンナーレの会場に行く飛行機に乗っていると、前に座った男が新聞を読んでいた。そこにはマルレーネが描いた、首を吊った男の絵が出ていた。それは、同じ紙面を飾るほかのどんな報道写真よりも強いイメージを与えた。なぜにかくも、一枚の絵がこれほどまで人の魂を捉えることができるのか。生と死、エロティシズム……。

なぜこんなにも生々しく、そしてリアルな感情を与えてくれるのだろう。彼女の絵ほど、絵の力について問うてくるものはないのだ。

 

さて、僕はマルレーネに聞く。

絵の力の秘密を。


後藤(以下G) 絵を生み出そうとするパッション、自分の絵を生み出そうとしている感情がどこからやってくると思いますか?
マルレーネ(以下M) どこから? 難しい質問ね。私は昔から絵を描くのがとても好きで、でも家族は美術家の家でもなく、父は農家だったし、街で育ったわけでもなかったから、私の絵も砂の上に描いたりする素朴なところから始まったのです。アーティストになるなんて、まるで思っていなかった。でも、視覚的に美しいものが好きで、アートと自然がいつも共存していたんです。自分の世界を見つめること。それには、「離れる」というのと「近づいてコンタクトする」という両方のファンクションがある。昨夜、荒木経惟さんと話をしました。荒木さんに比べたら私は、もっと温度が低いアーティストです。感情をぶつけるとかだけでなく、いろんなものが組み合わさり、それが一つになって、遠くに離れて「ひいて」見る。私の作品は自伝ではないし、自己治癒のセラピーでもない。そうではありません。私はまだちゃんとした「小説家」ではないけれど、文章も書きたい。そういうものもミックスする。でも、それは自分の表現のためではなくて、「あなた」のことに興味があるからなんです。つまり、私が私を見る、そんな観客であるという意識がある。だから、とても近づきながら、すごくひいて考えているのです。
G 「Fog of the War」と題された一連の作品を見た時、同じことを思いました。描かれているものは死者なんだけれど、死者との「語らい」というか、普通なら、死者はすごく離れたものなのに、近づいてゆく作業をあなたはやっている。深く近づいてゆく。そのことを強く感じました。死はこわいもの。でもここでは、愛に似たプロセスになってゆく。それを感じるんです。
M すごくいいコトバです、ありがとう。愛そうとすることは、とても難しいこと。日本にもあると思いますが、アフリカの哲学には、死者がいつも傍にいるという考え方もあります。からだはそこにあっても、魂だけがどこかへ行く。でも消えてしまうのではなく、近くにいる。物質的なもの、非物質的なもの。ほら、この紙みたいな(と言って触わる)形あるものと、上に描かれたイメージ。それは物質的にあるわけでもない。私は、フランケンシュタインをつくろうとしているのではなくて、あくまでペインティングを描いていて、愛や、人と人とのあいだにある感情的なものを扱おうとしているのです。物質に頼って、メタフィジカルなものをね。
G そうですね。絵は、魂の「抜け殻」ではない。すべてはカラッポで、どこかに超越的な存在がいるというのではなくて、あなたの場合は、描かれたものが魂そのものと言っていい。でも、描かれた絵を、「抜け殻」でも「死んだもの」にも見えなくするには、いくつもポイントがある。人間の形、表情、まなざし……。それらにあなたはこだわってきましたよね?
M 私の作風には「テクスチャー」が重要なのです。そして動き。たとえば書の中にあるような動きです。最近の中国の絵とかは、あまり好きでないものが多いけれど、私は絵がどのように「動的」に描かれているかに興味がある。描き方のスピード。描くアクション自体がまるで音楽のようにというか、とても大切なのです。だから私はリアリストではない。ポラロイドや写真を使うのは、「あなた」の姿を捉えておきたいから、そして、そこから解き放ってあげたいから……。
G 今聞いていて、あなたの作品の秘密の一つがわかったような気がしました。それは、「流動する」ということ。絵画は絵の具や紙やキャンバスといったマテリアルなんだけれど、その上を変化しながら動いてゆく。そうすることで生き物にするのですね。バイタルフォースをつくり出す。
M プロセスの中に、「あるもの」を感じるんです。
G ところで、あなたはポラや、記事の写真を使う。スケッチもする。我々が生きているこの世界から、どのようにイメージするのですか?
M 例を見せましょう(と言ってカタログを繰る)。「ブロークンホワイト」という作品は、白がすごくベタッと塗ってある作品です。あらかじめこういうのが欲しいというイメージがあったので、荒木さんの写真の中から、探して描きました。他のシリーズで、すごくセクシュアルなものとか、動物とかも描いていますが、それはいろんな人から送ってもらった写真をもとにしたりしているのです。でも、その全部を描くのではなくて、部分だったり、あれとこれが時間を超えてつなげていったり。
G いろんなイメージが交じりあっていくんですね。
M そうです。「マンカインド」の時は、テーマは戦争でした。人々がどんなポーズを、どんな場面でするのかが面白いと思ったのです。それから例えばアメリカでは、死者の顔を見せたりはしない。そのような文化的違いの中で、ポートレイトというものがどのように違うのだろうか。でも、それを直接出すのではなく、例えば自分の娘のこととか、個人的なことも社会的な中に混ぜ込んでいくのです。
G あなたは人間や動物を描く。それ以外のものは描かないのでしょうか。あなたの中には、アニミスティックな感覚が強くある。にもかかわらず、描いてこなかったでしょう?
M 学校で静物画ばかり描かされていたので、それがとても嫌だった(笑)。でも今、齡をとってみて、もしかしたらできるかもしれないと思うようになりました。木を描いても、人のように見えたりね。同じようなインパクトで描けるのではないか。海とかもね。死ぬまでに描けたら、あなたにお見せします。

 

赤い上気した顔、金色のふさふさな髪。

大きなジェスチャー、そしてよく動く口。

マルレーネは、実に生き生きした女性だった。

「活人画」というコトバがあるけれど、僕は彼女と話しながら、デューラーブリューゲルの絵の中から出てきた人のようだと思った。いのちのきらめきというのが、この人には強くあるのだ。その力が時代を超える絵を彼女に描かしめている。


僕が好きで持参した、『ストリップガールズ』(写真家アントン・コーピンとのコラボレーション)の画集にサインを求めると彼女は、僕の顔を見て、すばやくスケッチを走り描きした。それは、とても奇妙な体験だった。


後日、とある日曜日。東京都現代美術館へ行き、時間をかけてマルレーネの絵をゆっくり見た。そこにはいくつものポートレイトがあった。

 

僕は彼らと語らいあう。

それらは描かれているけれど、決して、死んだものではない。

生々しく、そして、セクシュアルなもの。何をして生きてゆくにしても。そうでなければならないのだ。そんな独白をつぶやきながら、僕は美術館を歩いた。


かけがえのない、わすれられない午后だった。

 

(以前、「ハイファッション」しでの対談を再収録しました)

17草間彌生と田名網敬一の絵画 の秘密について考える

この章では、絵画の「力」と「強度」についての2つの体験記である。

 

まず草間彌生展のことだ。

それは、実に特別な日だった。変な言い方だが、こんなに印象的な1日になるとは、不覚にも、思いもかけなかったのだ。国立新美術館での草間彌生展『わが永遠の魂』のオープニングに、若手写真家として国内外で高い評価をもつ横田大輔くんをさそったのは、たまたまのことだった。正直、オープニングのあとに打ち合わせしようよ、という気軽な設定だったのだ。

ところが訪れた草間展は、かつて見たことがない体験を我々に与えるものだった。車椅子で現れた草間さん自身の忘れがたい強いオープニングスピーチのあと、我々2人は展覧会場に入ったのだが、一発で圧倒されてしまった。入り口の絵や、入った大会場にびっしりと展示された近作群は、かずかずのモダン絵画を見てきた自分の過去体験を、すべてアマチュア野球にしてしまうほどの唯一無二、極論すれば男性中心主義でなりたってきた現代絵画史を払拭するほどの強い快感があった。観るものに、解釈ではない体感で包む第一室にたたずんでしまい、わけもわからず泣いてしまう女の子だって出現するにちがいないと思われた。

それほどまでの、圧巻の「強度」の空間が出現していた。2009年以降、毎日のように描かれつづけている作品から130枚が選ばれ、ぎっしり壁を覆いつくしていたのだ。

 

会場では、草間さん自身によるステートメントが書かれた一枚の紙が、配布されていた。それは、「草間彌生から世界の皆様へ」と題されていた。

長い文章の最後は、こう綴られていた。

 

「さあ、闘いは無限だ。

もっと独創的な作品をたくさん作りたい。

その事を考える眠れない夜

創作の想いは未知の神秘への憧れだった

私は前衛芸術家として宇宙の果てまでも闘いたい。

倒れてしまうまで」

 

草間彌生は、過去にも、今も、そして未来も「前衛芸術家」であった。

この展覧会は、回顧展などでは決してなく、「前衛芸術家の魂」の展覧会だった。

ドゥルーズが生きていたなら、ベーコンを凌ぐ歪形の画家を前に、陶然としたに違いない。ヒステリーそのものとしての、最強度ある作品群が出現していたのだから。

会場には、今までも何回も見てきたインフィニティ・ネットの傑作抽象画も、オブセッシブな銀色に輝くソフトスカルプチュアであるペニスオブジェも、ニューヨークでのパフォーマンス映像もあったのだが、「最新作」にやられてしまった。

会場を3周したところで、やっとおぼろげながら言語化できるぐらいで、これほどまでに、直に神経系統に来る絵画体験はあるものではない。

僕も横田くんもやられて、美術館を出て、打ち合わせしながら、今この時代の今、草間彌生展に立ち会えた重要さを痛感していた。喫茶店で3時間も話こんでしまった。
これは我々が、軽く考えている以上に、凄い事件のような展覧会なのだろう(その後、この展覧会は総入場者52万人を超す未曾有の前衛美術展となった)。

考えなければならないことは、草間彌生の作品がベーコンが成し得た恐怖のような「力」ではなく、極めてラブリーな「力」を駆使した総力戦であるということ。生命表現だということである。

草間が明言しつづける「前衛」とは、近現代美術の「折り返し」を切り拓くものとして再定義されるべきものに違いない。

100年後、明らかに時代のリセットの始点として、草間彌生のアートが語られるようになる、そう確信できた記念すべき日であった。

 

さて、もう一つ、重要な体験を書いておきたい。

 

田名網敬一の展覧会についてである。

 

渋谷のギャラリーNANZUKAで始まった田名網敬一の3年ぶりの個展「獏の礼」に、伊藤桂司くんといっしょに見にいった。 ネットにあがっていた新作の画像を見て、これは現物を今見ておかなければならない作品だと思ったからだ。


展覧会を観た直接的な感想からいえば、草間彌生展と並ぶものとして必見だし、コンテンポラリーペインティングについて考えるための重要な展覧会だった。好き嫌い超えた、特筆すべきものだと思った。

 


まず語るに避けて通れない課題が浮かび上がる。何故これほど短期間で、田名網敬一がグローバルアートマーケットで、ハイプライスで扱われるコンテンポラリーペインティングの巨匠になったかということ。
事実、NANZUKAに展示されている作品は、既に完売していた。高い作品は1000万円をはるかにこえている。世界中のアートコレクターが順番待ちで、みるみるうちにプライスは上がっていく。


僕が10数年前に、大阪のキリンプラザで、田名網敬一×宇川直宏のコラボ展をプロデュースした時はまだ、田名網敬一グラフィックデザインあるいは、アニメーション作家であり、コンテンポラリーアートからしてみれば、「周縁」の人だった。

僕は当時、グラフィックや写真のような一見アートの周縁と思われているものこそが、実は次にコンテンポラリーアートのメインに接木される可能性が高いと判断し、キリンプラザにおいて、五木田智央や、やなぎみわ澤田知子らの個展を予見的にキュレーションしていた。

田名網敬一×宇川直宏というコラボも、アートワールドへの明確なシフトへのキックになったと思う。

その後、所属ギャラリーとなったNANZUKAの精力的なプロモーションの尽力大きく、2012年ごろからは、ドイツ、スイス、アジアでも同時多発的にアーティストとして発見され、またたくまの間にWalker Art Center、Tate Modernのグループショーに参加。連鎖的にMoMAや香港にできるM+ など世界の美術館があらそって作品をコレクション。また、昨年NYのSikkema Jenkins Galleryでの個展も評価、セールス的に大成功となった。

 

成功という事実だけの話をしたいわけではなく、田名網敬一の作品に、どのようなアートとしての強度が内在しているのか、その生成や「強度」仕組みについてあまりにも、誰も語っていないのではないか。


ごった返すオープニングパーティーの中で、新作群を見た。

あらかじめデータで作った画像がキャンバスに出力され、その上から肉筆で着彩されたり、テクスチャーが加工されたりしている。

金魚や女たち、アメコミからサンプリングされた戦闘機や擬音の文字などが蝟集し宙に配置されている。エッシャーからの剽窃されたものもある。いくつかの要素はグラフィック処理でその平面性を偽装するために、背景には歌舞伎の舞台を思わせる書き割りが、アリバイのように描かれている。


これはデザインではなく絵画である。


横尾忠則もそうであるが、デザインからきた人ほどデザインと絵画についての差異に確信犯的、意識的なのである。また、コラージュというものに対する浅い理解に対しても批判的になる。

確かにコラージュは、イメージのレディメイドというものであり、個展的な絵画の限界を突破する発明だった。

少しだけコラージュについて語るならば、基本的にコラージュは、その誕生においてシュヴィッタースやアルプなど、初期ダダイストが行なったように廃イメージの衝突だ。

そこにはストーリーを生み出そうという下心はない。おぞましい異物生成に意味がある。だから時間がたつと衝撃がおちただのゴミにかえる。長持ちさせる美学的配慮がないのだ。

一方、似て非なるものとして、エルンストらシュルレアリストたちのコラージュがある。別物だ。これらのねらいは深層心理学を活用した再物語化だ。だからノベルである。超現実と称しているが、物語でしかない。


田名網敬一も、コラージュという手法の一つを使っているが、はたしてこれはコラージュなのだろうか?彼が画面をつくる、つまり絵画にする時にやっていることは、まず強度ある図像の制作だ。そこには実体験としての戦争体験による衝撃、夢の中で繰り返し現れる強迫観念などがトリガーとしてある。しかし、田名網敬一シュルレアリスト型のコラージュ(たとえば横尾忠則のコラージュ)と全く違うのは、図像を歪め、鏡像的に反復し、ドゥールーズ的にいえば、「ヒステリー化」させることで、図像の強度をマックスまであげることに血みちをあげていることだ。絵画に捏造するための空間化は、後回しなのである。ドゥールーズがフランシス・ベーコン論で明らかにしたようにベーコンは恐怖を描こうとしているのではなく、叫ぶというヒステリー化された図像を描こうとしている。これは、表面的な形はちがえど田名網敬一の絵画にもあてはまる。心的外傷をネタにした、異様な歪形が浮遊、蝟集させることで田名網は絵画を作ろうとする。


このような強度生成の手法と作品は、ある意味でコンテンポラリーペインティングの接続と可能性の評価をえやすいストラテジーなのだといえると思われる。


もう一つ重要に思うことをメモしておきたい。田名網敬一の絵画も、塗り絵というスタイルでみれば、村上隆がカテゴライズしたスーパーフラットに分類されると思う人は多いだろう。しかし、それは間違いだと思う。田名網にとって画像とは、動き変容する、アニメーションの一コマだからだ。彼は、平面の強度を上げるために、複数のイメージのレイヤーをぶつけるためにコラージュ的な体裁を採用しているのではなく、まさに心的外傷がトリガーとなってうまれた、ヒステリー化した図像をさらに衝突させることを狙ったアーティストだからだ。何度見ても、意味なくカタストロフ=エクスタシーをマックスで得られることこそ田名網敬一の欲望である。

その意味でかれは、永久運動を夢想する「独身者の機械」を引き継ぐアーティストなのだ。

アニメーションこそが、彼の中核にあるものだ。平面はそのワンカットなのだ。
「笑う蜘蛛」は、必見の作品である。


僕はこのアニメーションが、例えばアートバーゼルのunlimitedで展示上映され、世界のアートコレクターやキュレーターが、田名網敬一を絶賛する姿がありありと目に浮かぶのである。

 

 

16コンテンポラリーアートにおける「力」と「強度」をめぐる3つのこと

ヨーゼフ・ボイスのコトバから始めよう。

 

「人間にとっての革命的な観念を創造しようとすれば、人間にかかわるあらゆる力を問題にしなければならないだろう。もし人類学上、人間に新たな位置を与えようとすれば、それ以外にも関係するすべての分野で新たな位置を授ける必要が生じる。地に向いては動物や植物、自然とのつながりを、そして天を仰いでは天使と精霊と結びつけなければならない」

 

アートというものの面白さは、いつも我々の存在の「根源的な奇妙さ」と結びついていることだ。

我々がなぜここにいるのか。なにをすべきなのか。どこへ行こうとしているのか?

「特別な何か」に、強く魅きつけられ、感動したり、掛け替えのない思い出や、トラウマを生じたり、また時に恋に落ちたりするのだろうか?

 

アートは、理屈や形式を超えて、人間を動かす、裸の「力」をもっている。

ならば、アーティストはどのように、「力」というものと付き合い、魔法使いの杖のように、巧みにコントロールできるようになれるのか?

 

近代文明を作り上げてきたロジックや科学は、確かに有効ではあったが、同時に自らの大きな矛盾を暴露してきた。捨ててきたものも多い。もはや、科学万能やテクノロジーの進化を手放しで喜ぶ人など、いないに違いない。

かつて持っていた「力」の回路を知るにはどうするのか?ヒントは?

 

レヴィ=ストロースら優れた文化人類学者たちは、西洋文明に対して、未開であると位置づけられた多様性ある文化を、「別の事例」として、正当な評価を与えた。彼の『野生の思考』こそ、まずアーティストが読むべき本なのである。神話論理は、どれほど豊かな「可能性」に目を開かせてくれるのか。

 

また先端の宇宙論も、アーティストが知らなくてはならない領域だ。量子論一般相対性理論が統一されない矛盾状態の中から、様々なアクロバティックな「宇宙モデル」が考案され続けているが、それらは、時には古代文明が構想していたヴィジョンと符合する時がある。

古来よりの固有文化と、先端のヴィジョンの出会い。それは、まちがいなく、現在の思い上がった人間中心主義、エゴイスティックな文明の隘路を、突破する契機となるだろう。

宇宙の始まり、時間や空間や無、可能性のゆらぎ、高次元の衝突など、答えの定まらない「問い」が、数式と観測の試行錯誤の中から、生まれ続けることが、アーティストたちにインスピレーションをあたえることになる。

我々が暮らす日常世界は、感じようとしなかったり、発見しようとしなければ、ただ熱死にむかってエントロピーを増大させていくだけ。

 日常世界の現実に潜在する、別の、あるいは高次元を触知し、次元のサーフィンをしなくてはならない。これは、アーティストにとって重要なスキルだ。

 

古代の人々は、我々よりはるかに高い叡智をもっていたのだと僕は思っているし、現代にも覚醒したヴィジョナリーもいる。発明家バックミンスター・フラーは、宇宙の力に従って生きるならば、人間は働かなくてもよいはずだと説いたエンジニアであった。我々は、アートを生み出すに、どのようにして、宇宙と仲よくすればよいのだろう?

 

 「力」をどのようにとらえればよいか?

それがこの章のテーマだ。

 

我々は、フィジカルな世界に生きていて、引力や重力を感じている。直接的に感じられなくても、電磁気力や核力や、物質が成立するための4つの基本力が

存在することは、突き止められている。人間の活動や発想に、我々が気づかなくとも、これらの様々な「力」が、作用していることを否定することはできない。

 生体の活動や、幸運や人生の宿命や、肉体と精神。

見えるものと、見えないもの。

内側においても、外側においても「力」は、極めて重要な存在だ。

 

我々は、アニミスティックに草木虫魚や石などに内在している、力を感じる。時には、フェティッシュや愛着も発生する。また、不可触、不可視の世界も感じる。「超越的な力」を宗教や神秘主義錬金術に求め続けてきた。

神は死んだとニーチェによって宣言された近現代でさえ、ヴィジョナリーたちにとり、「不可視な力」は不死であった。空想社会主義シャルル・フーリエは「情念引力」を、批評家のベンヤミンも「親和力」は彼のクリエィティヴィティにおいて不可欠なものだった。

しかしその一方では、マックス・ウェーバーによる脱魔術化や再魔術化についての考察や、先駆的文化人類学者であるジェームズ・フレイザーが大著『金枝篇』で述べた共感呪術論へのヴィトゲンシュタインの徹底的な批判・否定も、我々は知っている。

 

呪力。

あるいは魔力。

 

ピカソは、たくさんのアフリカの彫刻をコレクションしていたが、ピカソ以上に、「野生の思考」に習熟していた暗黒大陸の住人の方がピカソより、「見えていた」ということはあるだろう。

また、無名な陶器職人たちが作った、「不完全な美」(柳宗悦)をもつ、素材がむきだされ、偶然性がとりこまれた、アシンメトリーの粗野なやきものを、どうして千利休のような「目利き」たちは、評価することができたのか。

そこには、アートの良し悪しの制度化された基準ではなく、もっと根源的な課題が横たわっている。

再度言うが、それは、人は、どのようにして「力」を操ることができるようになるのかという課題である。人は、どのようにして「甚だしい力」を取得できるのか。「力」の宿る「モノ」を、どのようにして作ることができるのかという課題だ。

 

第1に、呪術についておさらいすること。

人類学者たちは、未開文化のフィールドワークを通して、非西洋的な習俗の中で「力」の取得が部族においてどのように行われてきたかについて、豊かな事例を提供してきた。

例えば、メアリ・ダグラスは野心的な著作『汚穢(けがれ)と禁忌』の中で、霊的な力の源泉について内的なものと外的なものに、二分している。

ひとつは主体内部に宿る場合。例えば、邪眼や妖術、幻視や予言の力がそれにあたる。

そしてもう1つは外的象徴である呪文、祝福、呪い、まじない、祭文、祈願などだ。

妖術師、魔術師、シャーマン。彼らの力は、その社会に善をも、悪をももたらす危険なもの、両刃の剣であり、自らを滅ぼすことも、権力や富、幸運をてに入れることもある。ダグラスは、「能力(ちから)と危険」の章において、その力の儀礼について書いている。人は追放され、その共同体の周縁に住まわされる。つまり「境界線上」に置かれるとのである。

 

境界線上に出でよ!

 

 このような「力の生成」をめぐる人間の仕組みは、文明が近代化、機械化されても、潜在的に有効だと思う。

しかし、「アウトサイダーアート」というコトバは、好きではない。想像力に、健常も異常もないからである。だが「境界線上」にいるアーティストこそが、甚だしい力を発揮できるのはたしかだ。

ヘンリー・ダーガーやヴェルフリの想像力は破格だし、バスキアの部族芸術への先祖返りを思わせる絵画も、実に強い「力」を帯びている。

 

第2に、精神分析学の知見を知ること。

 例えばロラン・バルトの『明るい部屋』は、写真論は写真家ならば避けては通れない必読本だが、実は全てのヴィジュアル・アーティストが読むべき本なのだ。なぜなら、それは、写真を素材にしつつも、「まなざしの力」について考察されているからだ。

そして、どうして我々が、「あるイメージ」に強く取り憑かれてしまうのが、イメージの「強度」について考える必読の本なのだ。

超大雑把だとの非難を承知の上で、整理する。

まずバルトは、あくまでも概念の「仮定」として、2つの力の有り様を設定する。1つは「ストゥディウム」という「力」。これは既成の文化コード、意味文脈上での「価値」の文脈を持つイメージを指す。そしてもう一つが「プンクトゥム」。これはラテン語で「刺す」を意味し、イメージが私を刺してくる力として設定される。私が被写体を捉えていると考えるのは間違いで、ある特定のモノが私を刺してくるのだ。なぜあるイメージが、私を捉えてやまないのかを、彼は2つの力を仮定して考えたのだ。

ここでは詳細に論じないが、写真は真実を追求するアートではなく、「まなざし」を伝染させるアートである。そしてさらに重要なのは、その「まなざし」が「私のもの」ではなく、他者の語らいのものだということである。バルトは構造言語学者、修辞の考古学の研究者であるが、精神分析ジャック・ラカンとの邂逅を通して、「まなざし」の問題、つまりプンクトゥムというアイデアを得たのだと、僕は考えている。

ラカンは、人間に植え付けられている他者として、つまり逃げようもないものとして4つの「対象a」をあげている(新宮一成による名著『ラカン精神分析』は必読本)。それはなにか。糞尿、乳房、まなざし、他者の声の4つだとラカンは言う。そして、この4つが人間にとっての宿命ともいえる「黄金分割」と同じ存在だと解析する。バルトがラカンによる精神分析にかかっていたエピソードは、なぜかあまり公言されないが、ラカンの「対象a」からのインスピレーションはあったのではないか。

これは絵画や写真においてどのようなイメージが、「強度のあるものとなるか」ということと関係するだろう。

また、晩年のラカンにとって「囚人のジレンマ」というゲーム理論の設定は重要だったように思われるが、人を「ジレンマ」という、終わりなき宙吊り状態に置くこともまた、「力」の生成と関係しているに違いない。

 

目を釘付けにすることとは、対象が刺してくることであり、それはトータルリコールにおける、自分の中にある知ることのできない人造人間のようなものと結びついている。

ある表象が「力」を持つ秘密を知るには、精神の禁断の回路の箱をあけることになるだろう。そして最強度の、恐怖と快楽がつきまとうことになるだろう(ラカン中井久夫中井久夫が訳したエランベルジェの本など。あるいは、オリバー・サックスの『火星の人類学者』などを薦めたい)。

 

さて、3番目として挙げたいのが、ドゥルーズの本『フランシス・ベーコン  感覚の論理学』を読むことだ。

ドゥルーズラカンのようには「力」の「強度」に接近しない。彼は魔術や対象aではなく、また、精神障害者が生み出す強度のあるイメージではなく、フランシス・ベーコンという画家が生み出す「甚だしい力」の生成をとおして「力」の問題をあつかおうとする。

フランシス・ベーコンの絵は恐怖に満ち、暴力的なイメージであるにもかかわらず、それを見た者は忘れられないし、心が落ち着かなくなる「力」を持つ。それは何故なのか(僕も個人的に、高校生の時に、一時ベーコンの絵を模写することにハマったことがある)。そしてパラドキシカルだが、値段もますます高騰している。

「力」を帯びているのだ。

 

ドゥルーズも議論の素材として使っているものに、研究者デイビッド・シルベスターによるベーコンのインタビューがある。シルベスターは、実に45年間ベーコンに密着し、彼の「秘密」について詳細な論考を残した。

例えば、ベーコンはシルベスターにこう言っている。

 

「叫びというやつはたしかに恐怖と結びついているよね。でも実際に僕が描きたかったのは恐怖よりは叫びそのものなんだ。もし僕が、なぜ人間は叫ぶのかってことを本当に考えていたら、僕が描こうとした叫びはもっとうまくいっていたんじゃないかな。実際、開いた口というのはあまりに抽象的にすぎた。僕は口の動きだとか、口と歯の形だとかにずっと魅せられていたんだ。人に言わせれば、口とか歯にはあらゆる類の性的な含意があるという。僕は口から来るきらきらとした輝きだとか色が好きなんだと言えるかもしれないし、ある意味ではモネが入日を描くみたいに口を描ければとずっと思っていたんだよ」

 

「私は恐怖よりも叫びを描きたいと思ってきた」という発言は、ドゥルーズにとっては、「感覚」の「強度」と結びつく。ドゥルーズはいきなり、極めて重要なことから語りだす。

 

「具象(つまり説明的にして説話的なもの)を乗り越えるためには二つの方法がある。ひとつは抽象的形態に向かうこと、もうひとつは〈図像〉に向かうことである。この図像への方向にセザンヌが与えた簡潔な名称は「感覚」であった。図像とは、感覚に結合されたか感覚可能な形態である。図像は神経系統にじかに作用するが、神経系統とは肉体に属するのである。一方抽象的〈形態〉は脳に向かい、脳の媒介によって作用するのであって、より骨に近いのである」

 

ベーコンが描いているものは、具象でも抽象でもなく、図像であり、それは媒介なく神経系統と接続してする。バルトならプンクトゥム、刺すといいたいところだろう。ドゥルーズはバルトのようには仮定せず、ヴァレリーのコトバを引いて「感覚は、じかに伝達されるもので、語るべき物語による迂回や退屈をさけるのである」と見事に言う。

ベーコンにとっての問題は、暴力でも戦争の悲惨などという物語ではない。「ベーコンには感情など存在しない。ただ情動が、つまり「感覚」があるだけ」とドゥルーズは言う。そしてアントナン・アルトーの「器官なき身体」と絡めながら、ベーコンがいつも「身体の強度的現実を描いてきた」とさらに続け、「絵画とヒステリーのあいだには特別関係がある」と展開し、「画家のヒステリーではなく、絵画のヒステリー」とオチをつけるのだ。

 

「絵画史において、ベーコンの〈図像〉は、いかにして見えない力を見えるようにするかという問題への最良の解答のひとつであると思われる」ではそれは何か?

「ベーコンの問題とは、変形(transformation)ではなく、歪形(deformation)なのである。この二つは、まったく異なるカテゴリーである」と解析する。

そう、いかに歪ませるか。これは、ヒステリーとしての絵画の強度の秘密である。

 

ベーコンは、自分の好きなものを歪形しつづけた。

 

例えば、エジプト彫刻、マザッチョ、ミケランジェロ、ラッファエロ、ベラスケス、レンブラントゴヤターナー、コンスタブル、アングル、マネ、ドガ、ファン・ゴッホ、スーラ、ピカソジャコメッティデュシャン、マイブリッジの写真などを!

それは、剽窃や引用ではなく、神経系統に直接刺す画像を、生成するための総力戦なのだ。

さらに、ベーコンがそれらのアーティストの作品の中に、「力」のヒントを吸収しているところが重要だ。

ベーコンはシルベスターに言う。

 

「僕は自分の神経組織からあたうる限り正確にイメージを表に出そうとしているだけさ。そのイメージの半分でさえ、それが何を意味しているのか僕には

分からないんだ。僕は何も「言って」なんかいないよ。でも、僕が何かを言っていないのは本当だよ」

 

ドゥルーズの『感覚の論理学』は、強度あるイメージがどのように生成されうるか、についての実に有効な本である。そして今回、考えてきた諸力について、巧みに接近することに成功していると言えるのだ。

 

また、アブストラクトの章でも『感覚の論理学』について語りますね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

15ちょっと迂回して。逸脱者になるということ

この間、誰かのアートブログを読んでいたら「生きにくさ」ということばが、ずいぶんたくさん使われていた。新聞やTVなどのメディアは、戦争や災害などのカタストロフを力点に書いてしまうし、コメンテイターたちの発言をいくら聞いても、なんの解決の足しにもならない。情報では自分の現実など少しも変わらない。そうかと言って、SNSでの「つぶやき」や「ブログ」も、決断主義的に良し悪しを書いてしまうと、炎上したり、見ず知らずの人から、お節介な議論がふっかけられるのが関の山。

前章でも書いたけれど、AIの進化がもたらすのは、シンギュラリティであり、人工知能によって、どの仕事が奪われるとか、明るくない未来の話ばかりだ。

 

まあ、「生きにくさ」というコトバが、口をついて出る切迫感はよくわかる。

 

しかしこの時代において、コンテンポラリーアートに生きるということを選択することは、その「生きにくさ」を克服する道だと思う。

いや、そうだと思えるようになった方が良い。

 

千葉雅也という哲学者(彼はフランス現代思想の研究と、アート・文学・フィッションなどの批評を関連させて行っている)の『勉強の哲学  来るべきバカのために』などの著作は、コンテンポラリーアートをめざす人には、必読の本なのだと思うので、アートの話を「迂回して」、彼の本について書いておきたい。

この本の第1章の冒頭で千葉はこう書く。

 

「多くの人は、勉強の「破壊性」に向き合っていないのではないか?

勉強とは、自己破壊である。

では、何のために勉強をするのか?

何のために、自己破壊としての勉強などという恐ろしげなことをするのか?

それは、「自由なる」ためです。

どういう自由か? それまでの「ノリ」から自由になるのです」

 

冒頭を読むだけでも、この『勉強の哲学』が、もちろんアートのほんではないけれど、クリエイターやアーティスト必読ということが伝わってくるだろう。

今生きている「環境」のノリを自己破壊して、別のノリの人。現状に隷属するバカではなく、生成変化した「来るべきバカ」になること。

それはまさにアーティストであることの、「享楽」にほかならない。

 

隷属状態をただ繰り返していては、ただのバカでしかない。破壊や逸脱、「ひとでなし」の道を選ぶことは、時には世の中の、誤解や、悪口にさらされることでもあるし、そこで意固地になって被害者妄想的なエゴの鎧をつくっては、全く逆の道だ。間違った道だ。

千葉が言うように「自由」に、ならなければならないのだ。

そのためには、思考法、哲学、価値がどのように形成されてきたかというヒストリーと教養、そして実践的な戦略なくして、スマートな逸脱者=コンテンポラリーアーティストにはなれない。

 

千葉雅也が数年前に初著『動きすぎてはいけない  ジル・ドゥルーズと生成変化の哲学』を出した時、この本について、僕がある雑誌で書いたテキストがでてきたので、まずこの文章を読んで欲しい。

ほぼその時の原稿をコピペして、マルッとあげておく。

 

 

哲学とは何であるのか、そしてなぜ必要なのか? それは「私」が何であるのか、どのように生きるのかをサジェストしてくれるものとでもまず答えておこう。

しかし、私が何であるとか、正義とか、真実を求めたとしても、社会というものは誤動しているものだし、いかに軽やかに「うまく」やり、あっけないほど単純にこの世を去るしかないだろう。そんなポップでニヒルな「人でなし」な者は、よき家庭などつくれないし、社長や権力者に向いてもいないだろう。ただ一つ言えるのは、そんな「のら犬」や「虫ケラ」にも快楽があるということ。はぐれ者だからと言って、不幸というわけではないのである。


若き哲学者/ドゥルーズ研究者の千葉雅也の快著『動きすぎてはいけない  ジル・ドゥルーズと生成変化の哲学』は、そんなことにピンとくる者のための必読の書である。彼は東大・パリ大学および高等師範学校を経て、東大大学院で博士号を取得した文句なしの才人。ジル・ドゥルーズの直弟子マラブーの薫陶を受けた、高性能な現代哲学者なのである。

彼は、自らの博論をわざわざ「半端に改稿し」、この魅力的な本を作り上げた。

千葉雅也が、ドゥルーズ研究者でとどまることをやめ、「ドゥルーズ的に生きる」ことを態度表明していることが重要であり、共感するところだ。

ならば「ドゥルーズ的に生きる」とはどのようなことなのか? それを真に受け、実行することは、快楽の強度は高いが、かなりヤバイことだと思われる。

この本は博論のガイダンスの序(というよりステイトメント)として巻頭に「切断論」が置かれ、そのあとに9章+エピローグから成るドゥルーズ論が論証されている。各論は、ドゥルーズが初期から後期にかけて書いた著作『経験論と主体性』『ニーチェと哲学』『差異と反復』『意味の論理学』『感覚の論理』『マゾッホ紹介』などを精分析しつつ、今までしっかりと語られなかったドゥルーズの「非意味論的切断」の重要性を解くというハードコア。思想著を読みなれていない人にはヘヴィーかもしれないが、シュトックハウゼンやノイズ系、あるいはトム・ヨークのアトム・フォー・ピースとか好きな人には「さわやか」に読める本だと思われる。わかんなくてもムードで通読し、また「切断論」に返ると、痛快な気持ちになるれるだろう。

 

ドゥルーズの思想が日本に入ったのは 70年代末から80年代のことで、僕らは『現代思想』『エピステーメー』別冊の『リゾーム』、浅田彰の『構造と力』『逃走論』、そしてドゥルーズガタリの『千のプラトー』で感電した。

それは資本主義がグローバル資本主義へと進化することと並走しており、ネグリ+ハートの『帝国』『マルチチュード』につながって行った。新たなファシズム、新たなゲリラ戦としてのテロ、新たなビジネスシステム、新たなコミューンを考える時に、ドゥルーズが提起した「哲学」が、呪いの粉のように世界のすみずみにふりかかっていることに気づくのだ。

ドゥルーズ的に生きるとは、すべてに対してオープンに接続することや、「やさしく生きる」ことではありえない。達観し、悟りをひらくことでもない。つまり「人間らしく生きる」ことはほど遠いと言ってよい。千葉は要約して書く。

 

「私の考えでは、ポストポスト構造主義の要は、半面では、接続よりも切断、差異(diffarence)よりも無関心=無差別(indiffarence)、関係よりも無関係である。このように言うと、まるで寒々とした思潮のように思われるだろうか。しかし、根本的にバラバラな世界にあって、再接続を、差異の再肯定を、再関係づけ模索することが、ポストポスト構造主義のもう半面なのである」

 

つまり「資本主義世界で生きる」ために「解放的/強追的」な二面性にさらされながら、非意味論的接続だけでなく、切断をやってのけることが再生へ必需だというわけだ。


 (さて、ここらで中断)


 千葉雅也の本は、資本主義のまっ只中にいて、それを食いやぶるダニのようなコンテンポラリーアート界に生きる者には、ありがたい「人生哲学」(人でなしの人生哲学)の著である。

マルクスの思想が若者に有効だった60年代のことを思うと、すっかり今はドゥルーズが基本である。時代は流体、アルカイダも起業家も脱領域化してる。(この原稿はParisPHOTOから帰りのエアフラの機内で書いている。BGMはP.DiddyとOxmo Puccini 。片や資本主義にまみれた成り上がりアメリカ黒人ラッパー[レストランチェーンまでマルチに展開。元パフ・ダディー]と、アフリカのマリ生まれのフランス黒人ラッパーOxmo。P.Diddyは「疲れ」ている、Oxmoはマルチチュードの星だ。しかし行きついた形態はまるでスポンジのようにともにスカスカ。いくら成功しようが最低だろうが、金があろうが貧民だろうが、生のはてのセルフエンジョイメント。そうだ、『編集と快楽』というタイトルの本を書こうと思いついた)。

 

 

以上。奇妙な「書評」かもしれないが、どんな表現であれ、逸脱しながら、分裂をそのまま晒しながら、落ち着かせないようにしながら発語していかなければならない。

ドゥルーズは、それを「吃ること」と言った。

 

本の使命は、自分と世界をリアルに変革するための道具・ツールでなければならないということだ。ノマドのように移動しながら、即、移動の瞬間瞬間に役立たなければ意味はない。

 

さて最後に、冒頭で書いた千葉雅也の『勉強の哲学』の方にもう一度も戻ろうか。

 

この第3章の「決断ではなく中断」、第4章「勉強を有限化する技術」は、「吃ること」を「実用書」ばりに実践的に発展させてくれているので、そのまま自らの「ラディカル・ラーニング」に使える。

なかでも面白いのは、自分の「欲望年表」をつくる、という「技術」だ。

 

「最終的に、勉強を有限化するためには、信頼できる情報を比較するなかで、自分の享楽的こだわりによって足場を定めることが必要であり、しかもそれを絶対化しないことが必要です。自分に特異的な勉強のやり方を見つける。そのためには、本章で最初に行った、生活実感からアイデアを広げるというワークに加えて、一種の自己分析をするのが効果的でしょう」

 

千葉雅也の狙いは、勉強のテーマをどう見つけ、有限化するか。アイロニー、ユーモア、そして享楽の問題をあつかい、小賢しさを脱し「来るべきバカ」へと変化する。そのための2種の欲望年表。つまりメイン年表とサブ年表の作り方をぼくも速、やってみているし、美大での授業でも取り入れようと考えている。

また、アイデアを出すためにどう書くか。フリーライティングと、それを箇条書き化するアプリ「アウトライナー」の使い方も、混沌としたアイデアを有限化し、「来るべきバカアーティスト」として自分を自由の身にする、超具体的なやり方が、述べられている。

 

今やあらゆる情報が溢れ、デフォルトとなったデバイスを皆使っている。もはや写真家のライバルは写真家では無いことはあきらかだ。これは文学であれ、ファッションやデザインであれ「生きにくい」。

 

ならば、逸脱せよ。

メタに発想し、ハイパーアーティストを目指せ。

「勉強」で武装するのだ!

 

 

次回は予定にもどって「強度」。

ドゥルーズフランシス・ベーコン論をめぐって。

 

14アートにとっての「パラレルワールド」と「シミュラクラ」

「いつも死ぬのは他人」というのは、マルセル・デュシャンの墓碑銘のコトバだ。妻のティニーとご機嫌な夜をすごして、81歳であっけなく突然死したデュシャンは、お見事というしかないが、胆嚢手術がうまくいかず、病院でウォーホルが1987年に死んだニュースを聞いた時、悲しいというより、なんだか滑稽ですらある気がしたし、はなから行方不明をよそおっていた河原温の死を聞いたときも、やはり「他者としての自らの死」というイメージが浮かんだ。

デュシャンやウォーホルたちは、死なんて大したもんじゃないという、アートにおける「ひとでなし」的なアティチュードを示した点で、実に評価できると思う。

 

まず確認しておきたいのだが、 「私という他者」、あるいは「他者」性の取り込みという価値のシフトは、コンテンポラリー・アートにとって不可欠なストラテジーである。

しかし加えて、現在において「事態」は、どんどん加速的に変化していることをシビアに認識しなくてはならない。

デュシャンレディメイドジョン・ケージの「易」を 使ったチャンスオペレーション、ブライアン・イーノジェネリック・ミュージックやオブリック・ストラテジーなどは、今からすれば、「もう基本でしょ、古典でしょ」という印象も否めない。

なぜなら現在の、リレーショナルなアートの基本は、文字どうり「関係」のインターラクティヴィティを問題としているのだし、関係を開くにせよ敵対するにせよ、「他者」性の扱いが必須だからだ。

 

おまけにかつてなら、車や飛行機、兵器やカメラ、TVなどが、他者の代表としての「機械」であったのに対し、「コンピュータ」「ロボット」という他者の時代に突入しているのは、実に大きなシフトだからだ。20世紀には、それらは未来に設定された、ある意味でユートピアでもあり、かつ悪夢として想像力をかきたてるものであったのが、いまや「いま・ここ」の問題となっている。

いいかえるれば、他者との関係を議論や思想で問う前に、他者とのコミュニティを問う前に、否応無く我々は全てネットでオンラインですでに繋がってしまっている現実の中にいる。ある意味で、これほどまでに便利で、かつ恐怖をあたえる「事態」をかつて人間は、体験したことがない。携帯のネット環境に参加するやいなや、その人の「価値」が算定され、国や企業を飛びこした仮想通貨による支配下に置かれる時代に突入しつつあるからだ。

 

さらに、ムーアの法則をもとに、レイ・カーツワイルが言い出した、人工知能が人間の演算能力をこえるという「シンギュラリティ」として、そこから導きだされた「ポストヒューマン」という「事態」が、もう「まもなく来てしまう」という現実が、告げられている。

むろん、シンギュラリティについては、スティーブン・ホーキングのように人工知能によって人間が滅ぼされる日が来る、と警鐘する者、否定反論する者、「人間変容のヴィジョン」などが上がっている。しかし、そんなコトバすらよりはるかに速く「事態」は進行してゆくだろう。

先だっても、囲碁の世界一の名人が、人工知能のアルファ碁に完敗したが、このような敗北はプロローグに過ぎないことは確かだ。人間は、自らの愚かな「戦争」にあけくれている一方で、人間のハードとソフトを模造した人工知能体と、「日常的」に、対戦し続けなければならなくなったのである。

 

このようなパラダイムシフトの中において、想像力やアートの意味の再定義が、求められないわけがない。クライシスは、どのようなクリエイションの母になるのだろうか。

 

ながらく神話を含めた文学的な想像力は、クライシスに対して何よりも速く反応し、現実とは別の宇宙を生成してきた。世界の滅亡というオブセッションは、繰り返し形を変えストーリーテリングとして、人間の想像力のエンジンになり、現在もさらに劣化した単純な勧善懲悪のストーリーのハリウッド映画が生産され、全世界を洗脳し続けている。帝国への隷属をねらっているのだろうか。それとも叛逆を扇動しているのだろうか。

 

このようなコンフリクトに対して、かつてならば、文学的な想像力が現実とはパラレルな「もう1つの、ありうべき世界」が生成されてきた。様々かたちで「パラレルワールド」が生成されてきたのだ。

例えば、今からあげる小説家たちは、現実を変革したり、反抗しようとした人ではなかった。

カフカやローベルト・ヴァルザーの短編、ムジールの『特性の無い男』。ボルヘスをはじめとする南米のマジックリアリズム。スタニスワム・レムの『完全な真空』、ドン・デリーロの小説『アンダーワールド』やゼーバルトの小説は、いわゆる「ファンタジー小説」なんぞよりは、アーティストたちに、今も多くのヒントをあたえてくれるだろう。

そう、安部公房とフリップ・k・ディックは、アーティストだけでなく、キュレーションに関わる者へ、極めて有効な補助線を与えてくれるだろう。

どの作家のものでもよい。彼らの小説は、無理やり世界を整合性あるものとして提示するのではなく、現実世界の分裂を、傷口のようにそのままむき出しにしているのに気づかされるだろう。

今あげた小説家たちの作品は、夢が全部を思い出せないように、長編であっても何処か断片性をもっていて、それゆえ奇妙な、生々しさをもつ「パラレルワールド」の生成物である。それは、時には妄想や思考の限界、狂気すら帯びている。

 

とりわけ安部公房やディックの小説は、今からわれわれが迎える世界を先取りしている。彼らがもし生きていて、シンギュラリティのクライシスを前にしたら、なんと言うだろうか!

そこにヒントがあると僕は思っている。

 

コンテンポラリーアートのシーンに目を向けてみても、いよいよ「ポストインターネットアート」や「ポストヒューマン」のアーティストたちが、次々に「パラレルワールド」を生成し始めている。エド・アトキンスやイアン・チェンや、カミーユ・アンロなどには注目している。

続いて、このクライシスをテーマとするキュレーションはどんなものとなるだろう?

先例はある。

1992年にジェフリー・ダイチがキュレーションした「ポストヒューマン」展がそれ。国際巡回展となり、さまざまな若手に影響をあたえた。いまからすれば、おとなし目かもしれない。しかし、インターネットや遺伝子科学技術も今ほど進化してないにもかかわらず、予見的だった。アーティストのラインナップも、今見ると90年代の代表選手ばかりにみえるが、25年前によくぞチョイスした。ロバート・ゴーバー、ジェフ・クーンツ、マシュー・バーニー、チャールズ・レイ、シンディ・シャーマン、ジェフ・ウォール、ダミアン・ハーストなど。マシュー・バーニーは、彼のクレマスター・シリーズの前だ。

 

しかし、こう言うとなんだけれど、もう彼らの出番ではないように思えてしまう。今はもう、彼らではない。

やや余談だが、先日マシュー・バーニーが2014年に作った全6時間におよぶ「オペラ」作品『RIVER OF FUNDAMENT』を観た。バーニーの作品は、「クレマスター・サイクル」の全8時間上映も、バーゼルのシャウラガー美術館での彼らのの個展もしっかり観てきた方だが、期待を裏切られるものだった。詳しくは、ここでは省くが、今まで「エントロピー増大」という宇宙における死の宿命を、生体の「変成」「トランスフォーム」というベクトルで解いてきた彼が、単純な転生ナラティブに陥った作品だったからだ。ダミアン・ハーストのベニスでの展示もそうであったが、凡庸な価値転換のアイデアを、物量で押し切ろうとするだけにしか見えない。

シンギュラリティのクライシスに対して、新たなプレイヤーが輩出することなるのは、もはや当然のことだ。

 

で、突然だが。

この章の最後に、いつも気になっていることを書いておきたいのである。それは昨今「ブーム」になりつつある「アウトサイダーアート」への違和感とも繋がって行く話だ。

まずは、ディックの小説『火星のタイムスリップ』や『パーマーエルドリッチの3つの聖痕』でも同じなのだが、あえて安部公房の小説『人間そっくり』を引用したい。これらの小説は、ホラーではなく、読む人の実存を脅かす。

 

「ためらいがちに差し出されたのは、角がすりきれかけた、手札サイズの白黒写真。なるほど、あまりにもありふれすぎているので、かえってすぐには見分けのつかないしろものだった。

「これは   ただの公衆電話じゃないの    」

「それが、残念ながら、まさに似て非なるものなんですね。これこそ火星文明の基礎ともいうべき物質転移のステーションなんです。デザイン盗用も、いいとこだな」

 

 1967年だから50年前のSFだ。続いて、新潮社の紹介文をそのままのせよう。


《こんにちは火星人》というラジオ番組の脚本家のところに、火星人と自称する男がやってくる。はたしてたんなる気違いなのか、それとも火星人そっくりの人間なのか、あるいは人間そっくりの火星人なのか? 火星の土地を斡旋したり、男をモデルにした小説を書けとすすめたり、変転する男の弁舌にふりまわされ、脚本家はしだいに自分が何かわからなくなってゆく……。異色のSF長編。

 

地球にあるものは全て、火星にあるものの、模造、似て非なるものなのだと、火星人と自称する男はいう。主人公は「しだいに何かわからなくなって」どうなるか?

 

「気違い」になってしまうのだ。

 

安部公房の『人間そっくり』は、「パラレルワールド」と「気違い」をこれほどにまで、はっきり書いた小説はない。

ディックは違う形で、なんどもこの模造人間、シミュラクラについて小説の中で書いた。一番代表的なのは、短編「トータルリコール」で、これも主人公は、火星に行った記憶を植えつける話しになっていて、まるで瓜二つ。

シミュラクラのイメージほど、シンギュラリティ以降の人間のあり方に、つながるものはないような予感がする。AIは、話し相手になるか、「人間そっくり」の敵となるのか。

もう始まっているが、進化したデバイスを手に入れた反面で人間は、知識も記憶も記録も、全てをクラウドがストックし、確実に人間は記憶喪失者、無思考になってゆくだろう。物の形でクリエイションしないで「価値」だけを手に入れたいという欲望もキックされ続けるだろう。

 

ならば、人間はどうする?

その時にアーティストなら、何をなすべきか?

 

妄想すること?

それならディープランニングが追いついてくるだろう。

狂気は?

狂気を、ディープランニングはどうあつかうのだろうか。

バリントン・J・ベイリーというSF作家は『禅銃』という傑作小説で、白痴の人猿キメラしか使えない禅問答で機能する兵器を描いたが、禅問答はディープランニングはできるのか。

 

AIというシミュラクラ、つまり、「他者」が「私」を偽装するシステムが全世界を覆う時、全てのアートは、いま我々が「アウトサイダーアート」と呼んでいるもの、そのものになっていくだろう。

 

やっぱり、安部公房やディックの小説を、コンテンポラリーアーティスト目指す者たちは、今こそ読まなければならないね。

 

次回15回は、コンテンポラリーアートにおける「強度」について、です。

13「他者性」とウォーホル・モデルについて

さて、現在におけるアートとアーティストの基本について、再度明確にしておきたい。それは、自己表現ではなく「他者性」をいかに取り込むか。そして、アーティストのモデルについても語りたい。

絵画を表現形式として選択している人は、いつまでたっても「絵描き」が基本的なアーティスト・モデルになりがちだ。賛否はともかくも、ジェフ・クーンツやダミアン・ハースト村上隆らの成功を鑑みるに、僕は、やはりアンディ・ウォーホルこそが、基本的なアーティスト・モデルだと公言してはばからないのである。彼の仕事、その「作品」の価値が高騰しているのも、やはり無視や否定などできない。

 

2013年に、ニューヨークのサザビーズでウォーホルの1963年の作品『シルバーカークラッシュ』が、彼の過去最高価格1億5000万ドルで落札された(ちなみにその前日、1962年の作品『コカコーラ(3)』が5720万ドルで落札された)た。評価の高騰は、マーケットばかりではない。

彼は、1987年に胆嚢手術後の合併症により59歳で死去した。生前から充分に「成功」したアーティストであったが、その「価値高騰」は亡き後ますますエスカレートしている。世界の大型美術館が、さまざまな異なった角度からのキュレィションを加えて、彼の芸術価値を増幅させているのだ。

 

まだ死後25年もたたないのに、「現代美術の王」に押し上げる「怪物的な力」はどこから来るものなのだろう?そのことを冷静に分析しなくてはならない。

 

しかし、ウォーホルを理解することはやっかいだ。彼自身も

 

「謎は残しておきたいんだ。自分がどんな人間かなんてことは話したくない。だから聞かれるたびに答えを変えてるんだ」

 

とつねづね口走り、ジャーナリズムの取材をケムにまいてきた。多くの批評家やジャーナリスとたちも、「ポップアート」のラベルを貼るだけで安全処理してきた。しかし、ウォーホルの魔力を理解したければ、まず彼が、それまでの「アート」や「アーティスト」と違う「別のモデル」につくり直したと捉えることから始めた方がいい。19世紀的な「真善美」や「人生」を追求したようなアーティストや作品と、全く異なった原理でできたアートなのだ。

 

ウォーホルが「新しいアーティスト」になろうとした時、彼はすでにコマーシャル・イラストレーターとして若くして成功していた。受賞の名誉、金を手にしていたのだ。しかしそれは逆に、アーティストとしては「ハンディ」だったし、当時のアートシーンはポロックやデ・クーニング、ロスコたちの「抽象表現主義」が力をもっていた( 今になってみれば実は難解な批評言語に支えられ、神格化された部分がかなりある。それらは、新しいアートに見えて実は、ヨーロッパ起源の「古い」のアートを引きずった産物であったのだ)。

 

だからこそウォーホルは、「別の方法」で「アーティストになる」ことを発明しなければならなかった。彼はコンセプチュアルアートの導師マルセル・デュシャンにインスパイアされ、同期生ともいうべきジャスパー・ジョーンズラウシェンバーグとの邂逅により孵化をとげる。まずそのポイントは「ポップ」という思考である。

ウォーホルは60年代を回顧した『ポッピリズム』でこう述べている。

 

「一度ポップを”つかん”でしまえば、標識ひとつも以前と同じようには見えなくなる。そしていったんポップ的な発想をしはじめると、アメリカも以前とは違うふうに思えてくるのだ」

 

「まわりの人たちはまだ過去形で、つまり過去を参照しながら考えているためにそのことに気がつかないのだ。だけど必要なのは自分が未来に足を踏み入れていると知ることなので、その自覚さえあれば未来に生きられるというわけだった。謎は消えてしまったけれど、驚きはいまはじまったばかりだった」

 

重要なのはポップのモチーフやスタイルではなく「発想」なのだ。それも60年代という世界の日常的な現実から「ポップ的発想」を生むみ続けることが重要だった。

 

「ポップ的発想」の実践の第一はまず全てを「表面化」してしまうことである。有名な「僕を知りたければ表面を見ればいい」「僕はカラッポだ」という彼の発言は独自に「未来」を開拓する戦略的なステイトメントといえる。また、シルバーのカツラとサングラス。そのファッションの選択はもまた、自分を「鏡」のように全てを反射させる表面にする手品の始まりである。

1963年にスティープルギャラリーの初個展で、彼はそれまでの「習作」を整理し、キャンベルスープの作品を出す。そして個展終了直後に、マリリン・モンローが死去するや、始めたばかりのシルクスクリーンを使って作品をつくった。しかも使用した写真は、モンローの映画のプロモーション用のもの。のちには新聞記事の写真からジャクリーヌ・ケネディのシルク作品も制作している。

 

デザイナーがよくクライアントがある仕事を、あたかも自分の「作品」と呼んでしまう愚行を彼は犯さない。彼はアートには、頭脳的なシフトが不可欠であることをよく理解していたのだ。彼はコマーシャルの仕事のイラストを「アート」として粉飾することや、流行の抽象表現主義スタイルを選ばない。

そうではなく、すでにコマーシャルやメディアで流通している素材を「アート化」することを選んだのだ。

彼の言葉で言えばそれは「ノーコメント」絵画ということになる。そこにあるだけ。それ以上にも以下にもメッセージはない作品。「そのやり口」を冷たく押し通すこと。それが価値のシフトだと彼は確信犯的に分かっていた。

 

他にもウォーホルの戦略的な発明は、様々にある。

同時期のポップアートのライバル、リキテンシュタインが、コミックの網目のドットを拡大する発見をしたのに対し、ウォーホルが選択した作戦は、「量や反復へ行く」という決定だった。それを行なうための技法がシルクスクリーンである。

 

「刷るたびに多少の違いはあっても同じイメージをつくることができる。実に単純だったーー速くてしかも偶然性がある」

 

彼はそう述べている。

「戦略的な発想」に、彼の勝因があるーーそう結論を急ぎたいところだが、あっさり言ってしまっては戦略家としての細部を見落としてしまうだろう。

ウォーホルの重要さは、その戦略的な選択を、かつてないカオティックな実験の連続の中に身を委ねて手にいれたところにある。

例えば、『ポッピリズム』で彼はこう述べる。

 

「今から考えると。60年代末のファクトリーでの僕にとって大きな意味をもっていたのは、すべて機械的な行為だったように思う」

 

ここで言う「機械的」というのは文字通り、シルクスクリーン印刷や16ミリのボレックスカメラ、テープレコーダー、ポラロイドカメラなどを指す。それらは現実を「表面」へと変換する装置なのだ。従来ならばそこに技術の取得やオリジナリティ、何よりも「私」という表現主体が必要だった。機械は、明確な「他者」である。ウォーホルはメディアを重視し、可能な限り「私」を消す。彼の本は、日記すら電話の口述で出来上がったものだ。しかもそれは自分のこと以上に、まわりで起きた出来事、うわさ話、ニュースでふくれあがる。批評家が彼の作品を分析しようとしても、彼の作品が世界そのものにな

ってしまたから、分析不能になる。

 

いかに徹頭徹尾、「私」を「他者」化できるか。

ウォーホルは 価値転換は、デュシャンの「他者」を、さらに発展したものといえるだろう。デュシャンが隠者ならば、ウォーホルはアイコンである。

 

さて、シルクスクリーンによる「メタ絵画」の話に戻ろう。

 

絵画のようで絵画ではないもの。

それを機械的に量産すること。

 

彼の発見は、機械やメディア自体が批評性を持つということだと言ってよい。

それは彼の内部からではなく、外からやってきた。彼の実践は60年代の「ファクトリー」のカオスとともにあったのだ。

ファクトリーという実験場がなければ、ウォーホルは、ただの頭脳プレイヤーにすぎなかったかもしれない。ジェラルド・マランガやポール・モリッシーそしてビリー・ネイム。彼らなくしてファクトリーは誕生しなかった。家賃はウォーホルが払っていたけれど、部屋を銀色にしたのはマランガだし、写真をドキュメントにしていたのはビリーで、ポールは映画の共作者であった。ウォーホルが大音量でかけるロックミュージッークとビリーがかけるマリア・カラスのアリアがまじりあう無感覚の中で、ウォーホルはスタッフを動員し、次々にシルク作品を「生産」した。過去にあった画家の「アトリエ」と、なんと異っていることか!

 

ファクトリーは、アートの歴史において特筆すべき発明だと思われる。ここは、化学反応、化学融合の場であった。

 

混じり合ったのは音楽であり、男女のセックスであり、死や生も、地位や生まれ育ちの差異も、ファクトリーという、銀色の鏡地獄の中で混ぜ合わされた。

 

さてもう1つ。ウォーホルの作品と言えば、たいていシルク作品を思い浮かべるかもしれないが、実は、映画こそ彼が異常なぐらい執着した表現だった。映画と言ってもウォーホルが撮ったのは5時間以上男が眠り続ける姿を撮った『スリープ』や、8時間以上ただエンパイアステイトビルを撮り続けた「映画」だ。

映画のようであって映画でないものをつくること。これもまたポップ的発想によって「未来」へ生きるためにウォーホルが発見した方法だった。

ウォーホルの映画は、「退屈」が基本だ。ウォーホルは、こう言っている。

 

「退屈」が好きなのは、つまらないものが好きなのではなく、見ているうちに意味が無くなっていく感覚が好きなのだ」

 

だから彼は他人からすると何もおこっていないようなことを、じっくり見るのを面白がった。

田舎からでてきた名士の子女であったイーディはスターになりたがった、ウォーホルは彼女を「スーパースター」と呼び映画に撮るが、そこに映し出されたのは、イーディが遊び戯れたり、財産を使い果たして独白していたりする姿だった。

ハリウッドのスーパースターはフィクションを演じるが、ウォーホルの映画は、ファクトリーのカオス効果によって「フィクション化された生活」を生きる者の姿をリアルに撮影される。

ドイツから来た「スーパースター」ニコの場合は、音楽だった。たまたまその頃出会ったヴェルヴェット・アンダーグラウンドと組み合わされ、デビューさせられる。ヴェルヴェッツは、同年代のローリングストーンズやドアーズの反転像とも言える存在であり、そのライブは音楽のようで音楽でない爆音に満ちていた。これもまた「ロックのようでロックでないもの」を選ぶ、ウォーホルの「ポップ的発想」のたまものと言える。

映画というメディアを使い、人の「欲望」を剥き出しのままに記録すること。女優として生きたいという純粋な欲望、スターとして生きたいという欲望、有名人としてもてはやされたいという欲望。

 

その「欲望」の姿を「いけどり」にすること。

 

それがウォーホルの映画であったのだ。結果、映画は作品が目的ではなく、映画に生きることが作品となる。ファクトリーに関わった者は皆壮絶な運命をおびたが(イーディは29才で命をたつ)、まるで映画みたいな人生を味わったということからすれば、「かけがえのない幸福」、「快楽」を味わったともいえるだろう。

 

68年に「ファクトリー」は移転し、白い「オフィス」へと変身する。ウォーホルは制作を「注文絵画」へとシフトし富を増殖させ、「ビジネスアート」として成功。

 

このようにしてアンディ・ウォーホルは、60年代の過剰なまでのカオスを経て、70年代に「新しいアートのモデル」を確立させたのだ。

 

自己反復は冨を産む。

 

モンローにかわり、毛沢東を刷る、有名人のポートレイトを受注する、企業からのコミッションワークを引き受ける。ウォーホルという名のアートエンタープライズ(アート産業)の確立!アートの起業と言ってもよい。

ウォーホルが87年死ぬ直前にとりかかっていたシルク作品は、時代を画したTV番組のイメージを集めた『TVの伝統』シリーズだった。その中でも「ムーンウォーク」。メディアは時代とともに新しいスターや事件を取り上げ生き続ける。もしウォーホルが生きていたら躊躇なく、メディアがつかむ「新しさ」をとりこみ続けただろう。

 

そう、繰り返し続ければいいのだ。反省などない。

ポップには、死などないのだから。

 

ウォーホルは死んだが、彼が発明した「新しいアートのモデル」は、間違いなく、ますます増殖しつづけていくだろう。

 

次回14回目は?

おたのしみに!

 

12ディメンション:次元はアート思考の最重要なものである

誰にでも、好きなアーティストはいる。僕の場合は、幼少に出逢ったパウル・クレーであり、中学の時に新刊で出た「R荘」の絵が表紙の「ファブリ世界名画集クレー」を買って、決定的になった。クレー好きの人なら必ず知っている、チュニジア旅行におけるカイルアンのエピソードも、この時に知った。

クレーは日記に書いている。

 

「まず大いなる恍惚。個別ではなく、ただ全体のみ。そしてなんという全体を通であろう。千一夜物語がまぎれもなく99パーセントの現実の姿をもって現存している。なんたる芳香。ほんとうにうっとりとすると同時に、ほんとうに心が澄みわたる。構築と陶酔。繊細でまた明確な色合いをもつ夕ぐれ。わたしは今、仕事の手をやめる。なにかしら深く、なごやかに胸にしみわたる。わたしはそれを感じて心安まる。齷齪(あくせく)することはない。色がわたしを捉えたのだ。こちらから色を探しもとめるまでもない。色が永遠にわたしを捉えたのだ。それは、わたしにわかる。これが幸福のひとときでなくてなんであろうか。わたしと色は一体なのだ」

 

クレーにおける「世界体験」の告白である。

融通無碍への、幸福な入口が開いたのだろう。

アーティストには人生の「特異点」が必要だと思うがしかし、苦悩や死の脅迫観念などでは、もはやあるまい。今や「ゼロ」点は、偏在するし、何度でも反復されるのが、コンテンポラリーな世界なのだ。

 

以前にコンテンポラリー・アーティストにおいては「天才」神話はとっくに失効していて、新しい「ヴィジョナリータイプ」になっていると書いたが、クレーはその祖というか、未来のモデルとでもいうべき存在だと思う。2つの世界大戦のはざまに生き、61歳という意外なほどの長くはない人生の間に、膨大な「小さな絵」を描いた。しかし、その「小さな絵」は一見するとシンプルなユーモラスなものであっても、つねに複雑な内在的な構造を持っていて、見飽きることがない。そして、それらの絵が、表現主体の衝動によって生まれたのではなく、この宇宙を構成する点、線、面、色、運動などの独自の探求によってもたらされていることが重要なのだ。形態ではなく、どのように生成、形成されてくるのか。

 

クレーの死後に『造形思考』のタイトルのもとに編集された手稿は、ワイマールのデッサウ時代に、講義で使われたもので、学生を前に喋ることを前提とした、生き生きとした思考のフラグメンツである。

フォルムの造形や、点・線・面・空間の定位や色、リズム・運動など。その思考は観念的なコトバでなく、実作を生成しながら進められている。

 

この『造形思考』は、タイトルが造形なので、平面作品を生み出すための教科書と思われがちだが、全く違っていると僕は思う。

 

それは、今日的に再定義するならば、アートにおける「次元思考」の本である。

さらに言えば、この本で「コトバ」によって、不自由に語られていることは、今こそコンピュータ・プログラムに書き直され、次元教育に活用できるようにすべきではないかとさえ思われるほどだ。

 

クレーがバイオリンを弾き、音楽の才能も合わせ持っていたことは、ヴィジョナリーとしての彼の異能を物語る。 指揮者で作曲家のピエール・ブーレーズ が執筆し、ポール・ テヴナン が編集した『クレーの絵と音楽』 は、単に絵画と音楽の類似や、共感覚論にとどまらない予見の書、必読書だ。

クレーはことあるごとに「ポリフォニー」について語っている。

「ポリフォニックな絵画は、絵画では時間的なものがより多く空間的なものであることによって、音楽にまさっている」とすら書いている。「芸術は、見えるものを再現するのではなくて、見えるようにするのだ」と言う彼の有名なコトバもこの文脈でとらうなければならない。知覚の作用を音楽以上に視覚化、可視化することのありようを探求し、発明するのだ。形態はそのままならは、線や面という死んだカタチだが、クレーはそこに視覚の運動性、つまり時間をいれたものとして表出しようとする。

クレーは「動力学的」と言うコトバもよく使うが、彼のやったことは、ヴィジュアルランゲージの開発と言ってよい。つまり、クレーはアートというものを、「高次元」からの視点で捉えていたことが極めて重要だと思われる。いいかえれば、生命現象であり、自然であり、世界の成り立ちからアートを生成させるということでもある。

こんなことを、キチンとやったアーティストは、他にそういない。

 

絵画を学ぶ美大生たちは、大抵は2次元の思考の中で呻吟している。かつては、セザンヌ印象派のアーティストたちのように、3次元をいかに2次元に変換するかについて考えた者もいるが、そのような思考はすでに過去のものだ。そこから脱出したデュシャンは、絵画を「網膜的なもの」として自己否定的に捨て去り、4次元の3次元への投影として「大ガラス」の花嫁の部分を描き、またレディメイドの「影」をメタフォリカルに作品化した。

このように絵画史においては、「次元」の問題は、つねに、低次元から高次元へのジャンプという形で、徐々に取り組まれてきた。20世紀初頭のキュビストたちは、ベルグソンの時間概念やポアンカレの数学や非ユークリッド幾何学をヒントとしつつも、あくまで絵画の枠内の制作に止まった。デュシャンの「4次元の3次元への投影」としての作品も、その流れの延長での解釈にとどまりがちだ。

 

デュシャンからコンセプチュアル・アートへの真の革命性は、作品を作るにはコンセプトが必要だ、という話ではなくて、アートは実は脳の機能によって決定されているということが暴露されたと言うことである。

デュシャンが4次元を言い出した頃はまだ、脳科学は今ほど解明はできていなかったし、フロイトによる精神分析学が台頭してきた時代だった。アートは、「暫定的」に「夢判断」に手をだすことになってしまう。そしてシュルレアリスムの誕生だ。

研究がはるかに進んだとはいえ、現在においても、脳の潜在的な巨大な能力はむろん解明されていないし、一方で「高次元研究」、「高次元認知」の問題も進んでいるとは言えないだろう。まだ、この宇宙自体も「何次元」なのか解けていないのだ。

しかし、20世紀において最も注目すべきアートの潮流は、「イズム」としてのアートではなく、「テクノ」という周縁での接点で発露したのだと僕は考える。今や精神分析学に依拠したシュルレアリスムは、もはやファンタジーと同じぐらいに劣化、通俗化されて、ムザンにも「驚異」の力は完全に失効した。ポケモンGOやVRに全くとって変わられてしまったのである。

 

クレー以外で、「次元」そのもの、あるいは「次元変換」をテーマとする「テクノ系」アーティストとして注目されるべきこの当時の先駆者は、エル・リシツキーやモホリ=ナジだと思われる。彼らは、デザイン、写真や映画、空間構成などのメディアから入ったから、アートヒストリーの傍流にいるように思われるが、未来においては、極めて重要な位置に変わるだろう。

 

少しだけ彼らについて書いておきたい。まず、エル・リシツキー。彼は1890年に生まれ、1941年に死んだから奇しくもほぼクレーの人生と重なる。彼が生きた世界大戦とロシア革命の時代は、政治・社会の変動にとどまらず、思想や芸術のありかたが根底から覆される、実験の時だった。大抵は彼のことを、グラフィックデザイナーや建築家という肩書きでくくるが、彼は自身は自分のことは、そんな狭く古臭いカテゴリーを超えた「構成主義者」だと考えていた。1919年からつくったプロウンは、彼の師ともいうべきマレーヴィチのシュプレマチズムから引き継いだ抽象のヴィジョンを、生活空間で展開しようという実験であり、レリーフと建築とインスタレーションをくみあわせたような作品だった。また、ソビエトの博覧会のデモ空間構成など、空間に情報や運動をいかに組み込むかという野心的な仕事も行なった。さらに特筆しておきたいのは、本の仕事だ。1923年に詩人マヤコフスキーと組んでつくった『声のために』は、90年近く前のものとはとても思えない。なまなましい未来形である。本の右袖には、ピクトグラムとインデックスがある。各ページは右に、太陽との対話が書かれた詩がリニアに流れているが、左ページは表音的な世界がグラフィック化されている。重要なのはこれらの仕掛けが、詩を声に出し朗読するために総動員されていることだ。

パフォーマンスは、3次元を超えた時間芸術でもある。このリシツキーの本は、デザイン領域を逸脱する、4次元表現への挑戦であった。

 

リシツキーがシュプレマチズムから建築などの「次元変換」を試みたとすれば、モホリ=ナジは写真と映画というテクノの領域である。彼は1895年に生まれ1946年に死んだから、彼もクレーやリシツキーの同時代人である。

写真は誕生以来、先行した絵画との類似性の中で進化したが、本質的には「機械」のアートであり、「脳」のアートである。写真はカメラという機械、外部ヴィジュアル情報の入力装置を使って、人間では認識できない世界の姿を視覚化する。モホリ=ナジは、写真を世界像のイラストするものではなく、知覚拡張のシステムと考える。3次元の2次元投影としての「フォトグラム」や、多層なレイヤーを衝突させる「フォトモンタージュ」。幾何学的な動く立体「ライトスペースモデュレターLight-Space Modulator」。それをさらに動画で撮影しモンタージュをくわえた映像作品「黒・白・グレーBlack.White.Gray」など。それらは彼のバウハウスでの教科書であった『ニューヴィジョン』の考えを、実践で展開したものだった。

 

先ほど写真は「脳」のアートだと書いたが、写真は見えるものしか写らない。しかし、そこに時間や永遠を読み取ろうとするのは、脳が次元を補正するからだ。虚構やイリュージョンの話をしているのではない。脳のトリックや誤用の話をしているのだ。そこに、不可知な高次元が顔をだしてくれるのではないか。そんなことができるのは、アートだけではないのか?

 

我々は3次元の世界に生きていて、時間を可視化することはできないが、時間の針の前後により、見えない時間を想像しているだけだ。時間を捏造しているのだ。しかし、生命現象は時間と空間をともに生成させる。

 

ならば生命は4次元(高次元)を生きているのだろうか。

夢は何次元の投影なのだろうか。

高次元はどのように触知できるのか。

 

コンテンポラリーアートを、脳との対話や機能から生成させること。また、脳が持つ次元能力から生成させること。

4次元から絵画だって再定義すればよい。そうすれば、「絵画は死んだ」なんていう隘路に突っ込まなくてすむ。

デジタルで動画や写真をやり、2次元もやればよい。

3Dデータで立体も動画も平面もやればよい。

パフォーマンスと2次元を同時にやることを考えよ。

それがリシツキーが「アーティスト」や「デザイナー」に代わってイメージした「構成主義者」に他なるまい。

今まさにアーティストたちのワールドは、コンピュータという、AIに向かう機械と同居する世界である。

さて、君ならどうする?

 

僕は、「トランス・ディメンション」ということが、コンテンポラリーアートの、重要な思考法であり、可能性だと思っている。僕が主宰しているG/Pgalleryでこの10年近くアーティストたちとトライしつづけている(この具体的な実践については、また別の機会にたっぷり書きますね!)。

さて、どうなるか。

 

次回13回は、「他者性」とウォーホルというモデルについて、を書きます!